iPad紙芝居

 
 リアル境塾というイベントに行き、終了後の交流会で、境治さんと話した。その際、境さんから、前回のこのブログにも書いた映像、ピート小林さんの「みちのく桜路紀行」を見たよ、と言われた。

「あれっ、動画じゃないじゃん。ぜんぜん動かないし」と境さんは笑う。
 写真のスライドショーを見ながら、ピート小林さんに話を聞くといった映像なので、境さんの言葉は、素直な感想だといえる。

 でも、境さんはその後、こう言った。「でも、新しいかもね」このひとことは、うれしかった。

 写真をiPadに取り込み、その写真を見ながら対談をし、その様子をiPhoneで撮影するという、ムービーづくり。また、やってみようと思う。そして、ほんのちょっとずつでもレベルを上げていきたい。まあ、実際はムービーというより、iPad紙芝居と言ったほうがいいかもしれないんだけどね。
 
 

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ピート小林さんが語る「みちのく桜路紀行2011」(オークラジオvol.264〜266)

 
 
 
 
 オークラジオvol.266〜268は、映像付き。オークラジオTVとでも言ってみる(って、わかりにくいか)。

 コピーライターで写真家でもあるピート小林さんが2011年春に訪れた、「みちのく桜路紀行2011」を語ります。聞き手は私、大倉恭弘。どうぞお聞き、いや、ご覧ください。
 


 
 

 
 
 
 
 
  
 こちらは、長谷川櫂さんの『震災歌集』に所収されている和歌を引用し、長井和子さんがピート小林さんの写真に添えたもの。

  かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを

  人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線

(長谷川櫂さん著『震災歌集』中央公論新社より)
 

 
 

 
 

 


 

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スポーツショップの元プロ野球選手

 
 息子が始めたサッカーチームのユニフォームを発注するため、木場にあるスポーツショップをたずねた。そこで対応してくれたスタッフの方に、「やっぱり、こういうお店で働いている人はスポーツをやってた方が多いんですか」と聞くと、「私は野球でして」とおっしゃるので、「高校とか大学で、ですか」と言うと、「プロで」という返答をされ、ものすごく驚いた。というより、一瞬、意味がわからなかったくらいだ。
 聞けば、元・中日ドラゴンズの高江洲(たかえす)投手ということで、都立高校からプロ入りしたという話だった。まさか、近隣のスポーツショップでそういう方が働いているとは。今度、野球やサッカーなど何かの際にはヒマラヤスポーツの高江洲さんを訪ねて相談してみようかなと思う。
 

 
 
 

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Tokyo Skytree 2011-05-05

 
 子どもの日、東京の空模様。撮影、朝8時ごろ。

 I watched Tokyo Sky in Childrens day about 8:00 a.m.
 


 
 
 

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リフティング道(lifting do)

 
 
レシピ
iPhone 3GS
サッカーボール(4号)
ウクレレ(KAUAI)
私自身
 


 
 
 

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「たのしい写真」はたのしい

 
 
 
 写真がわからない。いや、写真をどう見て、どう評価していいのかわからない。好き嫌いで判断する以外は、ピントが合っているから上手い、合っていないから下手だといった判断はともかく、そのほかの見方がわからないといえばいいだろうか。そのことが気になりはじめたのは、いつからだろう。大学の頃、写真の授業があり、モノクロ写真を自分で現像し、自分で印画紙に焼き付ける作業もした。といっても、写真が専門ではなく、写真を少し学んだというくらい。

 写真がわからないことが気になっていたが、この本のおかげで一歩前進したかもしれない。それが、ホンマタカシさんの『たのしい写真 よい子のための写真教室』(平凡社)。その中で、「今日の写真」を考える上で重要だと思う3つの点を挙げ、それが「決定的瞬間」「ニューカラー」、そして「ポストモダン」だとホンマさんは言う。

「決定的瞬間」とは文字通り、決定的な一瞬を切り取ること。小型カメラを手にフットワークも軽く、決定的瞬間を求めて路上を小型カメラでスナップします。「決定的瞬間」は、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集のタイトルにもなっています。

「ニューカラー」では、大型カメラを用いて街角や路地などを客観的に撮影。小型カメラで決定的瞬間を主観的に撮影するのとは対照的です。「ニューカラー」という言葉が左上に大きく入ったページから次のページにかけてこんな文章があります。

 翌76年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で「フォトグラフス・バイ・ウィリアム・エグルストン」という展覧会が開かれます。
 この展覧会をもって初めてカラー写真は芸術として認められることになります。エグルストンはアメリカ南部の風景をなんの変哲もないカラー写真におさめました。「なんの変哲もない」というのは、なんの事件もなく、人びとの大げさな表情もないということです。つまり、そこには決定的な瞬間がないのです。ただただ繰り返される凡庸な日常の光景があるだけです。

 ホンマさんはまた、「決定的瞬間」と「ニューカラー」を下記のように整理しています。

「決定的瞬間」=小型カメラ(ライカ)+主観的+モノクロ

「ニューカラー」=大型カメラ+客観的+カラー

 

 他にもたとえば、「決定的瞬間」はシャッタースピード60分の1秒、「ニューカラー」は1秒とも書かれています。「決定的瞬間」は、狩りをするようにいちばん見せたいポイントにピントを合わせ、「ニューカラー」はシャッタースピードを遅くすることにより、絞りを小さくでき、そのため、手前から奥まであらゆるものにピントが合わせられるようになります。つまり、画面の隅々までを等価値に表現することが可能になるということなのです。

 こうもあります。

 この「等価値」という発想が、「ニューカラー」におけるキーワードです。決定的瞬間などはそもそも存在せず、すべては等価値であるという認識こそが重要なのです。

 そして、「ポストモダン」に関してはこう書かれています。また引用ですが、もうしばらくおつきあいください。

  
 さて、モダニズムの後には「ポスト(post=後の・次の)モダニズム」の時代がやってきます。
 ターニングポイントのヒトツは、1991年にニューヨーク近代美術館(MoMA)の写真部長が、ジョン・シャーカフスキーからピーター・ガラシに替わったこと。ここではっきりと時代の転換が行われたと思うんです。世界中に無数にある美術館のたったひとつの美術館のキュレーターがひとり替わるだけで、世界の写真をめぐる状況はドラスティックに変わったーーと、そんなふうにボクが感じるのは、ピーター・ガラシが91年に手がけた展覧会「Pleasures and Terrors of Domentic Comfort」の印象があまりにも強烈で、新鮮だったからです。

 展覧会のカタログの表紙には、フィリップ・ロルカ・ディコルシアの作品。アメリカの中流家庭のキッチンで、ひとりの少年がうつむき加減に立っている写真です。いかにも何かが起こりそうな予感がします。ディコルシアは、あたかも映画のセットのようなシチュエーションをまず創って、それから写真を撮影します。出会い頭のストレートな写真ではなく、細部にいたるまですべてを完全に構成して演出する、セットアップの写真です。
 モダニズムからポストモダニズムへと時代が変わったことを表す象徴として、ガラシはディコルシアのこの写真を表紙に掲げました。
 

 この後、途中は略しますが、
「セットアップ」の写真自体は、80年代前半から、サンディ・スコグランドやシンディ・シャーマンなどにより日本でも知られていましたし、ジェフ・ウォールやグレゴリー・クリュードソンもすでに一部では評価されていました。しかしこのガラシの展覧会によって、セットアップ写真は一気にメジャーな潮流として権威づけられたと言えるでしょう、と結ばれています。
 
 

 
 
 
 

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Tokyo Skytree 2011-05-03

 

 

 
 

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泣きそうになるっ音楽

 
 仕事の合間にこの曲を聴いた。泣きそうになった。熱くなって冷静でいられない。でも、いやなきもちではない。なぜだろう?
 
 ロックの、いや音楽の初期衝動? つくりたくて、鳴らしたくて、叫びたくてやっていると思える。やる気がなさそうで、でも、むちゃくちゃ主張がありそうなこの声。
 
 いま、日曜日の午後。このあと、また仕事に戻るのだけれど、この曲を耳にしてよかったという気がする。心の中の汚い部分が、ほんの少しだけ洗い流されたのではないか。勘違いかもしれないけど。
 
『ロックンロールは鳴り止まないっ』神聖かまってちゃん

 

 
 
 

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リーディング公演での震災フラッシュバック

 
 
 
 昨日の午後。トーキョーワンダーサイト渋谷でのリーディング公演を観に行った。この公演は、東日本震災復興支援チャリティ展「Art for Tomorrow」の一環。
 日本橋へ立ち寄る用事ができたのと、マウンテンバイクの前輪が急にパンクしたのと、地震が発生するたびに地下鉄が数分間停車したため、矢内原美邦さんの演出による公演には残念ながら間に合わなかった。

 このウェブサイトにあるMAPを頼りに現地へ向かったが、会場を発見できない。パルコパート1、パート2の近くということまではわかっているので、周辺をぐるり1周したのに到着せず焦ったが、なんとか時間までに会場入り。区の建物の中ということや、建物の外観写真をウェブサイトに入れておいてくれれば見つけやすいのに、と思った。

 こういう場所なんだ、という情報をビジュアルとして頭に入れておくと、会場を見つけやすいということがあるので、できれば、ウェブサイトをそのようにしてほしい。まあ、僕がここまで注文することはないかもしれないけど、外からすぐにわかりやすいような看板が出ているわけではないのだから、住所だけでなく、せめて建物の名前まで表記してほしい。

 前置きはこのくらいにして。宮沢章夫さんの演出によるこの公演、実は先日、森下スタジオで観たリーディング公演の流れにあるものだった。
 10名ほどの男女が椅子に座り、台本を観ながら言葉を発生する。ところどころ受け答えはあるものの、ほとんどの場面では、全体で会話が成立しているわけではない。だから、全体がつつながっていないように思えるが、じょじょに会話がつながりはじめる。個々の人間がバラバラにしゃべりながら、後半に進むにしたがって、ひとつの方向へ収束しはじめるといえばいいのだろうか。クールで現代的で、どこか冷めているようで、でもそこがリアルでもあって、どこでにでもありそうで、どこにもない世界。
 茨城県守谷市でアーティストのためのレジデンスで働く女性のセリフなど(男性が読んでいた)、どの登場人物も、その言葉を発するその人そのものではおそらくないのだろう。
 
 以前、森下スタジオで、インタビューによって作られたセリフだから全体の会話としては完全にはつながらない、というような話を聞いたような気がするが、あれは宮沢さんがおっしゃっていたのか。あるいは、そう記憶しているだけで公演後、出演者の方からそういった話を耳にしたのか、記憶が定かでない。
 エンディングの場面、床に散らばった紙に書かれた言葉を、出演者が順番に読む。日付、時間、そしてひとこと。そこには震災と関係がありそうな言葉もあれば、特に無関係な言葉もある。しかし、それが「3月11日」あるいは「3月11日以降の、3月11日に近い日」を俳優(職業的な俳優でない人も混ざっていたと思う)について話されると、胸がざわつくというか、ドキドキする。これは私だけなのか、観ていた他の観客だったのか、そこまではわからない。

 あの日、私は桜新町で、デザイン事務所の人たちとあるウェブサイトとカタログについての打合せをしていた。場所はワインと串焼き(串揚げだったかな)が売りの飲食店。そこで撮影があり、私はその撮影には参加していなかったのだが、その時間、デザイン事務所の人がそこにいるというので電車で向かった。

 行きしは問題なく、打合せも後半に差し掛かったとき、あの地震は発生した。1階というか半地下にような店舗は激しく揺れ、壁につくられた棚に置かれたワインの何本かか床に落ちて割れた。何度も揺れるので、外に出たら、サザエさん通りには近所の飲食店のスタッフや地元住民らしき人が何人も立っていた。口々に今の揺れについて話しながら、みな、少し上方を見ている。自分がいた建物や周辺のビルやマンションの上のほうの階を見ているという感じだった。
 
 大きな揺れの度に中断していた打合せが終了し、電車が動きそうにないので、そこから5時間強歩いて私は隅田川を越えて帰宅。自宅にたどり着いたのは夜の9時半頃ではなかったか。エレベーターが止まっているため10階まで階段を上がると、もうへとへと。オーロラシューズという柔らかい靴を履いていたとはいえ、やはり革靴。資料を詰めたリュックを背負っていたし、足は疲れきっていた。
 
 扉を開けると、そこに家族の姿はなく、あらゆるものが倒れ、食器が割れ、米や本が散乱している床はもう立つスペースがないほど。
 デスクから床に落ちていたマックブックがまだ使えそうなことだけ確認すると、すぐさま、外に出た。また1階まで降り、妻と子どもたちに再会した。
 結局、その日は(次の日もだったが)マンション1階に集会室に泊めてもらい、私が部屋までいったん戻り、掛け布団を運び、敷き布団がわりに集会室の座布団を使用。
 
 もう死ぬかと思った、と妻から聞いたのはその夜だったか、翌日だったか。あの日の14時46分、築38年のマンションの10階の自室にいた妻は、今までに体験したことのない激しい揺れに遭遇し、建物ごと倒れ、私はこのまま死ぬ、ここで自分の人生が終わるのかと本気で感じたという。その恐怖について、僕が何度ねぎらおっても、心配しても、「あの恐さは、あの場にいた人間にしか絶対にわからないと思う」という。上から8割くらいの位置まで入っていた浴槽の水が、底から10センチほどを残してすっかりこぼれてしまっているのだから、どのくらい凄まじい揺れだったか。

 食器は半分以上が割れ、いろいろな物が壊れたが、家族全員ケガがなかったのは不幸中の幸い。震災後、今まではあまり話したことのなかった同じマンションの住人とも比較的会話を交わすようになったし、うちのように、棚が倒れ、あれこれ壊れたけど、(失礼な言い方もしれないけれど)東北の方に比べればこのくらいは、といった言葉を何度聞いたことか。

 昨年夏まで住んでいた下北沢なら、桜新町までそんなに遠くないのになと思ったこと。池尻大橋より渋谷寄りだったと思うけど、そこにあった松屋か何かで隣り合ったおじさんから、伊豆の辺りから出張で来ていると言われたこと。JR渋谷駅を通り抜けるのにずいぶん時間がかかったこと。渋谷駅に改札と東急東横店の店舗の前の通路に何人もの人が座り込んでいたこと。渋谷警察の前で、警察官が地図を手に道行く人に帰り道を案内していたこと。外苑前の立ち食いそば屋で、また同じ女性に会った、さっきからよく見かけるけど同じ方向なのかな、と思ったら、実は男性だったので驚いたこと。246の自転車に人が並び、大勢の人が自転車を買うために並んでいたこと。赤坂東急のすぐそばで会った人に信号待ち中、秩父(だったかな)から来ていて帰り道がわかりません、新宿はどっちですか、とたずねられたこと。赤坂東急から皇居に寄ったところで、すれ違ったおばさんが「戦争みたいだね」と言っていたこと。皇居のまわりを歩いたら、緑が多くてその緑が風を防いでくれるからあまり寒くなかったこと。日比谷公園の中を歩きながら、向島に帰ろうとする女性とその母親に会ったこと。日比谷の外資系のホテルのそばのスルガ銀行ATMに何人もの人が入っていくなと思ったら、ATMの機械の前が比較的広いためか、ブルーシートがだだーっと敷かれ、大勢の人が座ったり、横になったりしていたこと。有楽町の駅までで号外をもらったこと。銀座の中央通りで横に並び、会話をして若い男性サラリーマン(らしき人)は、桜新町から来たと僕が言うと、僕の実家は桜新町なんですけどあの辺りはどうでしたか、と聞かれたこと。その人は、天王洲アイルのビルの26階にいてものすごく揺れたらしく、これから日本橋にある住まいに戻るということだった。その後、会った人は中央区新川の辺りで、僕ここの立ち飲み屋でときどき呑んでいるんですと言い、あ、水ありますか、会社でもらった水が3本あるんで1本どうですか、と「保存水」と書かれたペットボトルをくれたこと。その男性と、あ、こんなところに屋台が、と言いながら永代橋を渡る際に見た屋台が、先日訪れた屋台バー「トワイロー」であったこと(あとで聞いたら、広告代理店勤務のTさんはその頃、いや少し前だったかな、とにかくその日、トワイローで呑んでいたそう)。永代橋を渡り、その男性と別れる際、葛西までまだありますけどがんばってください、と声をかけ、もうここまで来たらひと息ですし、千葉まで歩いて帰る人もいるみたいだし、それに子どもたちのことも心配なのでがんばります、とその方が明るく言い、そのエネルギーに元気づけられたこと。

 といったあれやこれやが、リーディング公演のメモを読みながらしゃべる場面になるとわーっとこみ上げてきた。

 これは、震災のあとだからかもしれないけど、演劇が自分のリアルな記憶をここまで呼び覚ましたことは今までなかった。少なくとも、私にとっては初めての体験。
 いや、3月末に森下スタジオで観たときにも、さまざまな思いが自分の中を逆流してきたから、それを含めれば2度目の経験。

 森下スタジオの公演後、宮沢さんにも話したけれど、床にバラまかれたメモを出演者が読み始めた瞬間から、「演技が上手いか下手か」「話の流れがいいかわるいか」「おもしろいかおもしろくないか」といったこととは切り離され、というかまったく別の次元のものになってしまうように感じられ、自分でもよくわからないが、不思議な演劇に思えた。

 つくられたもののようで、ノンフィクションのようで、芝居のようで、演技をしているようもあり、まったく演技をしていないようでもあり。何なのだろう、もしかしたらまったく新しい何か、なのか。

 眼鏡をかけた若い男性による、最後のセリフが耳にこびりつく。思い出すと、胸の奥が痛いというか、ざわざわする感じ。
「もう、日本に安全なとこ、なくね?」
  

 
 

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クォンタム・ファミリーズの高密度

 
 東浩紀さんの『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)。今頃になって読んだのだが、すごすぎる。いや、密度が濃いというべきか、書きたくてしょうがなくて書いたというのが伝わってくる。「しょうがない」という表現は適切ではないかもしれないが、なんというのだろう、書かざるを得なかった、というべきか。ちなみに、クォンタム(quantum)は「量子」という意味を持つ。

 内容に関してはSF的でもあり、筒井康隆さんのような世界観を感じる部分もあるが、エンターテイメントというより、実験小説という感じか。小説の中に一部、ひとごととは思えない部分もあり、痛いところもあったが、東さんの表現欲の塊のような作品。

 物語の世界は、何重(何重なのだろう)にも入りくんでいて近未来をベースに、過去も未来も、そしてもうひとつの世界も登場する。「村上春樹」の小説についての記述もあり、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』や『1Q84』のような二重世界、複数の世界が同時に存在しているような世界観が描かれている。

「お前には、どうしても書きたいものはあるのか」という問いを突きつけられたような気がした。商品ありきで仕事を請け負うことが多いコピーライターには痛い。

 読んだ人がみんな、僕と同じような印象を持つとは思えないが、東さんは渾身の力をこめて書いたと思える『クォンタム・ファミリーズ』。何かの刺激を求めている人に読んでほしい。

 東さんは、批評への決別を示すという決意をこめて、この力作を生み出したのだろうか。思想史『思想地図β』を刊行している東さんに、批評と決別したという思いがあるのかどうかわからないが、批評家が片手間で書いた小説ではないのは確かだろう。

 
 

 
 
 

 

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