

一週間ほど前のこと。東西線で乗り入れている西船橋駅を経て東葉(とうよう)勝田台へ向かう車中、iPadアプリの「SketchBook Pro」を立ち上げ、ひとさし指でスケッチした。
座席の端にある、縦のアルミのポールといえばいいのか、乗客がつかむこともある棒を描くのが少し困難だ。私が技術が未熟なせいもあるが、指でスーッと直線を描くのは、思いのほか難しい。定規を用いるわけではないからか、曲線よりも直線のほうがむずかしく感じる。定規を使えたとしてもなるべく使用したくないし、私はフリーハンドの線が好き。それに、フリーハンドの線と定規で引いたような直線を組み合わせると、同じ画面上の絵としてうまく馴染まない気がする。
いや、これは思い過ごしか。マンガの絵など、フリーハンドの線とかちっとした直線が同一画面上に共存していることは珍しくない。御法度ではないから、好みの問題か。好き嫌いでいえば、直線を描くとしても、下書きとして引いた直線をフリーハンドでなぞるというように、フリーハンドの手跡を残すほうが味が出やすいし、私の趣向には合っている。
話が脱線した(いい言葉ではないか)。眼鏡をかけた男性は西船橋で下車し、その後、ふた駅ほどしてからだっただろうか、マスクを付けた男性がいずれも真向かいの席に座った。iPadに指でスケッチしているとは思われなかったのだろう。ご本人に気づかれるとムッとされるかもしれないし、何よりこちらが恥ずかしい気分になる。
指で人をスケッチするのは楽しいのだが、定規を使わないからか、直線を描くのは容易ではない。線の太さや色、筆のタイプなども選べ、ひとさし指でササッと描ける。絵を描くのが好きで、iPad(最初のiPadでも、iPad2でもOK)を持っている人にはこのアプリをおすすめしたい。
チョークの粉を指につけて黒板に文字を描くとか、砂に指で絵を描くとか、そんな原始的な気分が味わえる。指の腹とiPadのディスプレイとの接触なのだが、指一本であっても、肉体を用いて絵を描くのは、不思議な気持ちよさがある。肉感的快感、とでもいっておこう。
専用のマウスパッドのようなものに、専用のペンで線を描くことで、ディスプレイに絵や線を表出させる(ワコムの)ペンタブレットのようなツールもあるが、「SketchBook Pro」と別物といっていいと思う。指で直接描いているような気になれるぶん、体感としてまったく異なる。ペンタブレットは、画面に直接、専用ペンをふれて描くタイプのものもあるが、それにしたって、指そのものをペンにして描くわけではない。






プッチンされまくって、ブランドに。
(まず最初に。きゃりーぱみゅぱみゅファンの人、この絵を見ておこらないでください。絵が下手なだけで悪意はまったくありません)
昨日、朝日新聞のテレビ番組欄に「プッチンされて40年 Glico プッチンプリン」という突き出し広告が掲載されていた。突き出し広告というのは小型広告で、プッチンプリンの広告は、定規を持ち出してサイズを測ってみると、タテ6.4cm、ヨコ3.7cmほどの小さなスペース。白黒で印刷されていてカラー広告でもない。
いま、新聞に広告を掲載するということは、僕のように40代以上をターゲットにしているのか。もちろん、30代(あるいは20代)でも新聞を取っている人はいるだろうが、昔に比べると明らかに減っているだろう。
現在45歳の僕にとって、プッチンプリンは懐かしいお菓子だ。いや、お菓子というより、デザートというべきか。初めて食べたのはおそらく小学生ときだと思う。
プリンのふたをはがし、容器をひっくり返して、皿の上に置く。容器の裏にある突起を指で折るとプリンがじわっと落ちてきて、さらにのっかる。プリンの天面は濃い茶色のカラメル、その他の側面は黄色っぽい、まさにプリン本体とでもいうべき部分。
何年生のときが初体験だったのかまでは記憶にないが、プッチンプリンとの初めての出会いはくっきり覚えている。友達の家で、お母さんが出してくれたのではなかったか。当時、デザートという言葉を知っていたかどうかわからないが、おそらく知らなくて、「プリン」は「デザート」でも「スイーツ」でもなく、ただたんに「プリン」だったと思う。
その懐かしのプッチンプリンがまだ現役の商品で、ファッションモデルで歌手の「きゃりーぱみゅぱみゅ」を起用することもあってか、新しささえ感じられるといったら褒め過ぎだろうか。ルイ・ヴィトンのバッグ、とらやの羊羹のような、いわゆるブランドでなくても、こうやって長く愛されているものもある。プッチンプリンの場合は、庶民の食べ物というのがまたいい。
こうやって、この広告やプッチンプリンについてふれるきっかけは、実は小学校2年生の息子。昨日、僕が新聞広告に気づく前に、息子が「あっ、きゃりーぱみゅぱみゅ」と発したのだ。
テレビCM、おそるべし。テレビの視聴者が減ったといわれて久しく、そのことは紛れもない事実だと思うし、現に、僕が授業を何度かお手伝いしている某専門学校の生徒に聞いても、テレビを観ないと答える生徒のほうが多いのではないかと実感しているくらいだ。
しかし、小学生のあいだでは、まだまだテレビの力は根強いと思う。息子や娘(小6)はリモコンをいじって、目当ての番組を見つけ、片っ端からハードディスクに録画している。帰宅後、自分で番組を再生しながら、CMを飛ばしながら(早送りしながら)観ていることも珍しくない。
そんな息子が、きゃりーぱにゅぱみゅもプッチンプリンも知っているのだから、息子に早送りされなかったCMなのだろう。
新聞の突き出し広告のキャッチフレーズが「愛されて40年」でなく、「プッチンされて40年」と書かれているところもいい。「プッチンされて」という表現はこの商品でなければ使えないし、「愛されて40年」というよりも自慢げに受け取られにくい。
庶民的な商品でも、ブランド広告が成立することを再確認した。庶民的でも、続けることでブランドになる。これって、自分に当てはまるのかな。というより、当てはまりたいなぁ。
