猪苗代湖ズ「I love you & I need you ふくしま」

 
 知人の水田かおりさんから教えてもらった、猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」。モデルの水田さんは、大分人ということで出演している。水田さんの次に、劇団大人計画の荒川良々さんが出ていることに驚いた。

 僕も出たかったなぁ、なんて思ったけど、大阪人は吉本の芸人ちゃうかなと考えながら見ていたら、笑福亭鶴瓶さんでした。一瞬でも、出たいなんて考えてすいません。鶴瓶さんは松竹芸能やけど、吉本か松竹かという話はこの際、ええか。

 誰が出てくるんやろとドキドキしながら、最後まで見てしまった(しまった、ってことはないか)。一回聴いたらメロディが耳に残った。

 出られなかったけど(笑)、福島を応援しようと(微力ながら)思う。
 
 


 
 

 

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いいこと新聞(3)

 
 東日本大震災で被災した子どもたち100人を、山梨・富士河口湖の総合アウトドア施設「森と湖の楽園」が受け入れると発表。そのことを私は、ヤフーのトピックスで知った。

「森と湖の楽園」は清水國明さんが理事長を務める、NPO法人河口湖自然楽校が運営する施設である。

「森と湖の楽園」へ一度取材で訪れたことがあるが、自然が豊富でフィールドアスレチックのような楽しみもある。

 被災地からは遠く、地元を離れたくないという気持ちもあるかもしれないが、子どもたちにとっていい場所だと思う。取材時、ここで暮らせたら楽しいかもなぁ、と感じたことを回想した。

 自然の中で過ごすことの良さ、鈍くなっている野生的な勘が自然の中で暮らしことで甦ることなど、清水さんはいろいろおっしゃっていた。

 4、5メートルくらいの高さにターザンロープのようなものがあり、その下の地面はウッドチップで敷き詰められているところが敷地内にあり、正直、そこに上るとかなりの恐怖感で、私はロープに捕まって向こうまで渡ることができなかった。

 そのことを清水さんに聞くと、「最初は恐がる子どもも多いけど、すぐに慣れて、たいていその日のうちに、ターザンロープで20〜30メートル先まで渡れるようになりますよ。落ちたら危ないと思うと、みんな落ちないもんですよ。あははは」なんて、笑っておられた。

 人間の中の、野生の復活。あの施設なら、あり得るかもしれない。
 
 

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いいこと新聞(2)

 
 大きな地震のあと、部屋の中のあらゆる物が倒れ、足の踏み場もなかったため、マンション1階の集会室に泊めてもらったり、同じマンションに住んでいるのに普段あまり話をしなかったおじいさんやおばあさん、若い男性と会話をしたり、少しずつ交流が生まれている。

 地震があったとき、僕は(世田谷区の)桜新町で打ち合わせをしていたのだけど、電車が止まったので、江東区の自宅まで5時間ほど歩いて帰ってきた。昨夏まで住んでいた下北沢なら、そんなに遠くないのになぁ、などと思いながら。

 ひとりで5時間ウォーキングはきつかったけど(革靴だったし)、日本橋のあたりでたまたま話をした男性は、「葛西まで帰るんです。家族も待っているし」と語り、「水、ありますか、飲んだほうがいいですよ。1本余ってますからどうぞ」と、「なんとか保存水」とかいうペットボトルをくれた。初対面の僕にそんなことをしてくれるなんて思ってもみなかったので、むちゃくちゃうれしかった。

 他にも、渋谷駅から吉祥寺までの徒歩ルートを聞いてきた高齢の女性、東久留米から来て、新宿をめざして歩いている男性、日比谷公園で出会った東向島まで帰るという親子(若い女性とお母さん)、実家が桜新町で日本橋に住んでいるという若い男性などと言葉を交わし、人と話すことでかなりホッとした。

 日比谷では、スルガ銀行のATMコーナーだったと思うけど、何人もの人の姿が見えたので中に入ってみると、ATMの機械の前にブルーシートが何枚も敷かれ、何十人もの人が座ったり、横になったりしていた。外は寒かったし、暖かいATMコーナーを解放し、おそらくブルーシートを提供したのだろうし、スルガ銀行の粋な計らいだと感心した。

 巨大地震は極めてつらい状況を生んでいるけれど、人と人とのリアルなつながりも生み出しているのだと思う。ツイッターもフェイスブックもいいけれど、やはりリアルなつながりでしか得られない温もりもあると、あらためて確信した。
 

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いいこと新聞(1)

 
 一昨日のこと、ツイッターなどに「いいこと新聞。いいことだけを載せる新聞を作りたいなぁ。良くない話題は、ほおっておいてもどんどん入ってくるし。」と書いたら、反応してくれる人がいた。

 
「いいこと新聞」で検索すると、清水國明さんが主宰する川口湖畔の自然樂校のウェブサイトがいちばん上に出てきた。そのページを見ると、2007年12月1日に創刊し、2008年3月までに4号出ているようだ。

 清水国明の自然樂校へは数年前に取材で訪れ、清水さんにもインタビューさせていただいた。清水さんは、「絶対に人の悪口を言わない。人に言ったことは、必ず自分に返ってくる。だから、人の悪口を言うことは、自分のことを悪く言っているのと同じこと」といったことをおっしゃっていました。でも、そんな話を真面目くさって口にするのでなく、ギャグをまじえながら、朗らかに話されました。そのときのこと思い出すと長くなりそうなので、今回はこれくらいでやめておこうと思う。

「いいこと新聞」に話を戻そう。「ツイッターで11年ぶりに父と娘が再会した」という記事を見つけたのだが、これは「いいこと」といっていいだろう。関西弁で「ええ話やなぁ」といってしまいそうな内容ともいえる。「

 いやなニュース、悲しいニュース、腹立たしいニュースが多いけど、いいニュースが少ないように感じる。いや、ニュースでなく、過去の話だっていいのではないか。古くても、賞味期限の切れていない「いい話」「いいこと」「いい人」「いいもの」などはたくさんあるだろう。いい話には、みんなや、この国や世界を良くする素が入っているのだと思う。「いいこと」にもいろいろあるけれど、ちょっとずつ紹介していきたい。
 
 

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小谷元彦ワールドに包まれる快感

 
 
 
 小谷元彦『幽体の知覚』(個展)に足を運んだ。会場は東京・六本木の森美術館。会期最終日の前日だったためか、午前10時過ぎなのにすでにかなりのお客さんが入っていた。
 妻から、森美術館史上2番目の観客動員となっていると聞いていたからそのことに驚きはしなかったが、なぜそこまで入るのだろうと思った(これまでの1位は森美術館がオープンした際の展覧会「六本木クロッシング」のようだ)。
 素晴らしい展覧会だったのだが、告知が上手だったからか、小谷さんがイケメンだからか、あるいは宮部みゆきさんが売れているように、ある程度よりも上に出ると、そこにいっきに人があつまるということか。つまり、売れるものは極端に売れ、そうでないものはほとんど売れない、といったような。ということは、インターネット上にはロングテールはあっても、リアルにはロングテールは存在しないのか、存在できないのか。

 話がそれてしまったが、ケチをつけようとしているわけではない。その逆で、素晴らしい展覧会だった。歩行矯正器をつけたバンビ(鹿)、髪の毛を編んだドレス(『ダブル・エッジド・オブ・ソウト』(ドレス02)』)、いろいろな作品で何度もモチーフとして登場するガイコツ、上下左右の感覚を奪われるような奇妙な滝(作品名「インフェルノ」、樹脂でできた骨によるニュー・ボーンシリーズ……

「インフェルノ」というのは「地獄」という意味のイタリア語らしく、スティーブ・マックイーンが主演していた米国のパニック映画『タワーリング・インフェルノ』を思い出した。いや、『インフェルノ』というホラー映画もあったかもしれない。ぐらぐら気持ちわるいようで、気持ちのいい地獄。天国のような地獄か、地獄のような天国か。

 白というよりも生成りのような色のニュー・ボーンシリーズの部屋では、タツノオトシゴのような美しい形状の骨がいくつも並ぶ。以前、メゾン・エルメス(銀座のエルメスにあるギャラリースペース)で発表された作品のようだが、見とれてしまう美しさ。骨には本来、色らしい色はないし。なんだろう、あの感覚は、恐いともいえないことはないけれど、もっと深いところ、自分の遺伝子に語りかけてくるような感じというのだろうか。こう書きながら、なぜか、中学生のときに拾ったおじいちゃんの骨(遺骨)を思い出してしまっている。

 2頭のオオカミの頭を左右に向けた作品(『ヒューマンレッスン(ドレス01)』1996年)、歩行器を付けた痛々しくも見えるバンビなど、生理的に働きかけてくる作品。樹脂と違い、木彫の作品もある。武士のミイラのような人物が(あれは、騎士かな)刀を持ち、ミイラのような馬に乗った木彫の作品(『SP4 ザ・スペクター—-全ての人の脳内で徘徊するもの』2009年0を見ていると、恐いような切ないような気持ちにもなった。テリー・ギリアムの映画『フィッシャー・キング』に出てくる馬に乗った騎士を思い出す。

「死」以外に、「エロティック」というのも同時に感じさせられる小谷作品。こういったキーワードだけを並べても美術作品を語ることにはならないが、ほかに「ポップ」という言葉も浮かぶ。「ファンタジー」な世界観も感じられる。

 ニュー・ボーンシリーズからはエロティックなものを感じられたが(実はほとんどの作品からも感じられた)、そもそもエロスとは何か。ウィキペディアを引けば、「エロース、エロスは、ギリシア語でパスシオン則ち受苦として起こる「愛」を意味する普通名詞が神格化されたものである。ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神である」とのこと。恋愛、性愛という言葉が入ってくる。そして、死だ。

 恋愛、性愛、死。これらを美しく、ソフィスケートさせ(品よく)、ファンタジック(幻想的、空想的)に見せてくれる小谷ワールド。切れ味鋭い現代アートでありながら、プラモデル(わかりやすくいうと、ガンプラか)のような手触りも持った作品。洗練されていながら、フィギュアのような俗っぽさも兼ね備えている。
 
 昨日の個展会場で感じたあの気持ちよさは何か。子宮に入り込んでしまったような安心感を、無意識に感じたのか。小谷さんは男性だけれど、母体感覚というのか、子宮感覚というか、そういったものを持っているのかもしれない。いや、両性具有な感じか。

 会場で作品に触れ(もちろん、直接触ったわけではない)、同時に展覧会場に集う多くの女性のことも気にしながら、小谷ワールドを堪能した。

 個々の作品に心を動かされながら、会場構成の見事さにも感心した。部屋ごとに作品の雰囲気が変わる。小谷さんの作品を時代の変遷とともに追っていたのかはわからないが(発表年をきちんと見ていけばよかったかな)、ひと部屋、ひと部屋、作品ががらりと変わっていく、あの気持ちよさ。あの快感。

「キュレーション」という言葉を用いればいいのか。佐々木俊尚さんの新刊『キュレーションの時代』(ちくま新書)によると、「キュレーション【curation】とは、無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること」だそう。キュレーションというのがいいのか、編集というのがいいのかわからないが、作品群を整理して、見やすく提示していたのはまちがいないと思う。森美術館のキュレーターとのコラボレーションともいえるかもしれない。「展覧会場において、小谷元彦という作家のこれまでを観客に伝えること」に成功している、と感じた。

 アーティスト小谷元彦にして、キュレーター小谷元彦。エディター小谷元彦ともいえるかもしれない。

 会場の最後に椅子が並べられ、今回の作品展までのドキュメンタリー映像のようなものが見られる。言い回しは正確ではないかもしれないけど、「最終的にできるものはどうでもいいんですよ」みたいなことを小谷さんが口にしていて、興味深かった。また、「プロセスが好き」「プロセスが楽しい」「プロセスが大事」みたいなことを言っていたのではなかったか。あれだけの完成度の高い作品をつくりながら、矛盾しているようにも思えたけど、おそらく、小谷さんの中では矛盾していないのだろう。

 映像の冒頭に近い部分で、「全部、レイヤーとして考えてますから」みたいなことも言っていたけれど、あれはどういう意味だったのか。レイヤーとは「層」「階層行動」といった意味で、Adobe IllustratorやPhotoshopなどのグラフィックソフトや画像編集ソフトなどでも使われる言葉だ。展覧会場を観客が歩きながら作品を出会う際、手前のレイヤーから順番に見ていくようなイメージか。

 Ilustratorの「オブジェクト」にマウスを持っていき、「重ね順」→「「最前面へ」「前面へ」「背面へ」「最背面へ」「現在のレイヤーへ戻す」のどれを選ぶか、といった操作をイメージした。

 ああ、わかったようでわからない。小谷さんに煙に巻かれたような気にもなる。

 ドキュメンタリー映像の中で、「混乱と静謐」 という言葉も語っていた。整理されているように見えて、会場を出て帰宅して、その翌日でも「あの展覧会は何だったのだろう」「なぜ、あんなにお客さんが入っていたのだろう」「なぜ、あんなに女性が多かったのだろう(小谷さんが知性的なイケメンだから?)」など、まだ頭の中がグルグルしている。混乱しているというべきか。

 仕事柄というべきか、資料という意味も含め、ビジネス書を読むことも多い。「こうすると、うまくいきやすい」「こうしたほうが効率的がいい、確率が高い」といった内容もいいけれど、答えの出ない気持ちよさもある。整理できない快感もある。というわけで、たまには、正解の出ない体験へ。
 
 
 本日開催の東京マラソンも気になるけれど、この展覧会もきょう(2月27日(日))限りなのでお見逃しなく。

 六本木ヒルズの森美術館で10時から22時(入場は閉館時間の30分前まで)。
 

 入り口で借りられる音声ガイド。小谷さん本人による解説もあるみたいなので、そちらもぜひ。帰宅後、そのことを知ったので、僕は「本人解説」を体験できなかった。
 
 

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泣きながら考えること

 
『メイク・ ア・ウィッシュの大野さん』という本を図書館で読み、泣きそうになった。いや、ほとんど泣いていた。

 難病の子どもたちの夢をかなえる、メイク・ ア・ウィッシュというボランティア団体と、子どもたち。そして、夢をかなえるための協力する人。

 幼くしてこの世を去る子どもたちもいて、そのことと自分を比べてしまう。いや、比べてしまうというのではない。ただ、かわいそうと思うのはよくない気がするし、頭が混乱する。泣きそうになりながら、人は何のために生きるのか、長生きすることとはど何なのかなど頭をグルグル回る。

 元気で長く生きていたいと思うと同時に、死ぬのが恐くないと感じられるといいな、とも思う。極楽浄土というか、天国というか、死んだあともいいことがある、と思えれば、死は恐くなるのだろうか。

 こういう話を普段することはないけれど、これはこれで大切なことのような気がする。みんな忙しくて、そんなことを考えている暇がないのかもしれないけど、考えないようにしているのかもしれない。人間とは何か、死とは何かなど、哲学的なというののかな、なかなか答えの出ないことはみんな考えないようにしているのかもしれない。

『メイク・ア・ウィッシュの大野さん』のページをめくりながら、そんなことを考えた。泣いてしまったあと、先日読んだ、重松清さんと茂木健一郎さんの対談本『涙の理由』を思い出した。

 ノンフィクションで、人の死に出会い、涙を流すとき、この涙は何なのか、失礼な涙ではななければいいのだけど、とふと考えてしまうことがある。この人はかわいそうだな、自分がそうでなくてよかった、と自分はそう思って泣いているのではないか、などと考えてしまう。

 と同時に、自分の中のいやな部分を、涙が洗い流してくれているのではないか、と都合のいいことも考えてしまう。

 追伸というのは変かもしれないけど、少し追加。メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン、事務局長の大野さんには2度お目にかかったことがある。背筋がピンと伸び、芯が強そうで、どこからこのパワーが出てきているのだろうと思ってしまうくらい、イキイキした表情の女性である。
 


 
 


 
 

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野田秀樹の「ひつまぶし」

 
 野田秀樹さんの『ひつまぶし』という本。野田節炸裂という感じでおもしろい。雑誌『AERA(アエラ)』での連載をまとめたものらしいが、のっけから「友情出演」を野田さん流のセンスでもって取り上げていて笑った。昔、新潮社の雑誌『03』で(たしか)連載していた『この人をほめよ』も傑作だったけど、それを彷彿とさせる内容。

「友情出演」や「特別出演」というのはなんだろう、といい、「友情出演」があるのなら、友情以上のものを感じている場合、「愛情出演」というのがあってもいいし、肉体関係を結んでしまった場合は「痴情出演」といってもいい、などバカバカしくて立ち読みしながら声を上げて笑いそうになった。
 立ち読みして購入してないのに、人にすすめるなって言われそうだけど、きょう買いに行こうかな、というくらいおもしろそうな内容だった。野田さんの芝居を何度か観たことがあるし、戯曲もいくつか読んだことがあるけど、野田さん独自の切り口、視点のユニークさ、言葉に対する感性の鋭さがこの本にもよく表れている。

 ビートたけしさんの漫談くらいの切れ味。って、たけしさんの漫談はもう、めったに見られないと思うけど。

 このところ、ビジネス書を読むことも多かったけど、バカバカしいおもしろさに書籍でふれたのは、ひさしぶりだ。

 帯の裏表紙の部分に、「エンターテインメントを日本語に正しく訳すと『ひまつぶし』になる」みたいなことが書いてあって、それにもクスリとした。あ、これだと、クスリ浸けのほうのクスリみたいだな。クスッとした、だった。

 本のタイトルは、『ひまつぶし』でなく、『ひつまぶし』なんだけどね。
 
 ビジネス書の「いくら儲かった」「私はこうやって成功した」というのもいいけれど、そういうのにゲップが出かかっていた僕にはとって、「箸休め」というか「気分転換」というか、まさに「ひまつぶし」になりそうな本だった(あ、ここ、ほめ言葉で)。TVブロスの松尾スズキさん(と河合克夫さん)の連載もおもしろいけど、やはり、野田さんもいい。バカバカしさ、万歳!

 バカバカしいことって、なくてもいいことのようにも見えるけど、なんでもかんでも効率主義じゃつらい。というか、肌の保湿液みたいなのもので、潤いがないと毎日はカサついてしまう。その意味で、この『ひつまぶし』は、一見なくてもよさそうに思えて、実はあったほうがいい本。いや、ないと困る本。ムダのように見えて、実はムダでない。グレートなムダ、ムレート・ムダ。ムダヒデキ。あ、無理やりっぽいな。なんだかよく分からなくてきたけど、こういう本が存在して、こういう本が楽しめることって、いいことだと思う。まだまだ、日本も、現代も捨てたもんじゃない。

 最後にもうひとつ。表紙のイラスト、うまいなぁ、おもしろいなぁ、と思ったら白根ゆたんぽさんだった。最初は「へたうま」と呼ばれていたような気がするけど、めちゃくちゃ、うまいよね。でも、「うまうま」ではない。うまいだけで味がない、魅力がない絵とは違う。こういうの、なんて言うんだろう。

 

 
 
 
 

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絵しりとり(1)

 
 

 
 
リンゴ・スター
Ringo Starr

 
iOSアプリ「Scribble」はこちらから。
 

 
 

 

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I bike Korobimashita

 
 Google TranslateというiPhoneアプリがいい、とTwitterに書いていた人がいたのでさっそくダウンロードして試してみた。

 なるほど、わるくない。音声検索がおもしろい。

「ありがとうございます」は「Thank you」、
「ありがとう」は「Thanks」と英訳してくれ、
では今度は英語から、とやってみたとこころ、

「Goog morning」は「おはよう」という日本語に変換してくれる。

 それでは、と文章の変換を試してみたのが、これ。

「私は自転車でこけました」と、ゆっくり発音してみたところ、
うまく変換できないので、
「私は自転車で転びました」と言うと、こうなった。

 
I bike Korobimashita
 
 

 

 
 
日本語はむずかしいのか、
まだ「う〜ん、どうかな」という部分もあるけど
無料アプリだし、iPhoneをお持ちの方は
ぜひ試してみてください。
 
 

 
 
 

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メディア芸術祭とマンガパワー

 
 
 小1男子を連れて、足を運んだ2010年度(第14回)文化庁メディア芸術祭。息子がゲームのコーナーにへばり付いていたため(お父ちゃん、すぐそばにいてねと言われた)、あまりあちこちに見られなかった。

 それでも途中、息子に「ざっとまわってくるから、このゲームのあたりにいてや」と言い残し、ひとりで回遊。

 
 そのとき、特に印象に残ったのは、

 人間エアホッケーみたいな「eスポーツグラウンド」

 息子が、テレビゲームやDSのあるコーナーに貼り付いていたので、この人間エアホッケーみたいなのはできなかったけど、おもしろそうだった。上記の映像が、メディア芸術祭でのものではないけど、どんなゲームなのかは分かると思う。
 
 
サカナクション『アルクアラウンド
 

 このPVは去年の何月だっかな、夏よりも前だっと思うけど、スペースシャワーTVで偶然見て、びっくりした。デジタルのようでアナログな味わいに感心。ハイテクのような、ローテクの魅力にあふれている。

 
 もうひとつ、驚いたというか笑ったのは『NIGHT LESS』。

 Googleストリートビューの映像だけをつないだロードムービー、というのがいい。作品概要に最後にある「撮影せずにつくられた映画は、果たして「映画」といえるのだろうか」という言葉がいい。映画とは何か、考えさせられる。

 「ゲラゲラ笑った」というような「笑った」でなく、「あ、やられた!」という感じで「笑った」。作者の田村友一郎さんのユーモアに、スカッとした気分になった。

 素の素材を編集するDJのようでもあり、相手が仕掛けてきた勢いを利用する巴投げのようでもある。
 
 他人の土俵で相撲をとっているように見えて、まったく新たな魅力を立ち上がらせた「NIGHT LESS」に拍手。Googleストリートビューの映像はすべて日中のため、「NIGHT LESS(夜がない)」とタイトル付けしたセンスにも脱帽。シャレが効いている。

 Googleストリートビューの映像を使用したことにより、権利問題が発生する可能性があるからか、YouTubeでも「NIGHT LESS」は発見できず残念。
 
 
 
 と、ここまでメディア芸術祭らしい作品にふれたが、本音をいえば、もっとも感じたのはマンガのパワー。アニメーション部門も魅力十分に思えたが、マンガ部門優秀賞の山本直樹さん『レッド』、奨励賞の福満しげゆきさん『うちの妻ってどうでしょう?』の2作が強烈に印象に残った。

 手が描いた線の強さ、情報量の多さ。情緒を揺さぶる肉筆。ウィキペディアによると、山本直樹さんはMacも使っているようだが、基本的には手描きの線の魅力が大きいように思う。

 デジタルがどこまで進んでも、アナログの魅力は廃れない。いや、廃れないどころか、デジタルが増えれば増えるほど、手跡が見えるアナログの価値は高まるはずと確信。

 先週、たまたま見つけた記事で、「機動戦士ガンダム」の監督である富野由悠季さんが、CGの批判をしていたけど、その話を思い出した。デジタルとアナログ、両方の魅力をかけ合わせるのがいいのだろうと、あらためて感じた。
 
 
 

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