同性愛結婚と自由

 
 昨日、インターネットのニュースで、ニューヨーク州で同性愛結婚が承認されたことを知った。7月24日に発効されるというから、スピーディだと思う。承認から法案が施行されるまで1カ月足らず、というのは日本ではなかなかないのではないか。

 いや、そのことより、同性愛結婚だ。私は同性愛者ではないが、この法案には賛成している。米国では、コネチカット州、アイオワ州、マサチューセッツ州、ニューハンプシャー州、バーモント州、そして首都ワシントンに次いで、同性愛結婚が承認されたことになる。

  ニューヨークを含めた6州+首都ワシントン(ワシントンD.C.)をアメリカの地図で見てみると、すべて右上のほうにある。これは、アメリカの地図の真ん中にタテに1本、ヨコに1本、線を引き、4つに分けたとしたら、この6州+首都はすべて右上にあるということだが、中部の上のほう(北部)にあるアイオワ州以外は全部、右上に固まっているのがわかる。

 ここは、ヨーロッパからの移民が最初に入ってきたあたり、つまりアメリカの中で歴史が古いエリアということだが、そのことと同性愛承認は関係があるだろうか。正確には、西のほうにも先住民族はいたはずだから、右上のエリアは歴史が降古いとはいえないかもしれないが、アメリカ合衆国という国家としての歴史は、右上から始まったいっていいだろう。

 1620年、イギリス南西部のプリマスからマサチューセッツ州プリマス(故郷を懐かしんで地名をつけたのだろうか)に到着。Wikipediaによると、このときの乗客102名のうち、約3分の1はイギリスを追われて出てきた人たち。イギリス国教会の迫害を受けた分離派の人々で、信教の自由を求め、メイフラワー号に乗船したという。「そのため、アメリカ合衆国にとってメイフラワー号は信教の自由の象徴であり、歴史の教科書で必ず触れられている(Wikipedeaより引用)」

 アメリカの自由は、北東部から始まったといことなのだろうか。たしかに、そういうとおかしくないようにも思えるが、私が不思議に思えるのは、西部の、後から開拓された土地のほうが、自由に寛容なのではないかということ。たとえば、ロサンゼルスのあるカリフォルニア州では数カ月前、マリファナの合法化が話題になった。最終的に、合法化がされなかかったが、もうちょっとで可決されるのではないかということで大きな話題になった。カリフォリニア州の北部にはサンフランシスコという都市もあり、そこで毎年行われるゲイ・パレードも有名だ。

 今回のニューヨーク州に同性愛結婚承認のニュースを知ったことで、アメリカの東部と西部、どちらが保守的なのか、そのことが気になった。歴史がある場所のほうが保守的なのが一般的かもしれないが、「自由の国」といわれる場合は、歴史がある地域のほうが「より自由」なのだろうか。

 日本でも、長い歴史を誇る京都は、1970年代から80年代くらいにかけて、アンダーグラウンド、ニューウェイブシーンの音楽を世に送り出していたし、伝統のある保守的な街は、その反動として、自由や前衛に対する気風を生みやすいということもあるのかもしれない。

 日本で同性愛結婚が認められるのは、いつのことになるだろう。近い将来ではないような気がするけれど、認められるとしたら、東京や神奈川のような首都圏なのか、それとも古都からなのか。あるいは、大阪人が「まあ、ええんちゃうか」とか言うて、ノリで決めたりして。阪神が調子のいいときなら、勢いで可決してしまう可能性もなきにしもあらずかも、なんて大阪出身の私はほんのちょっと思っている。
 
 同性愛結婚は、その国や地域や街の、懐の深さや多様性を認めるかどうか、自由は何か、というような度量を表しているのかもしれない。日本では江戸時代まで、同性愛はそれほど特別なことではなかったようだし、いいんじゃないのかな、大らかにいっても。犬が好きな人もいれば、猫が好きな人もいるみたいなたとえをすると怒られるかもしれないけど、男が好きでも女が好きでも人を好きになるということは素晴らしいことだと思う、というのはキレイにまとめすぎだろうか。
 
 同性愛を認めるかどうか、というのはそのことについてだけでなく、人それぞれの違いを認めるかどうかの象徴とはいえないだろうか。認める・認めない、は酸性かアルカリ性か判断する(賛成か反対か、にも似ているなぁ)、「自由や多様化のリトマス紙」のようなものかもしれない。「器の大きな人」という表現があるけれど、日本という単位でみるなら「器の大きな国」になるべきだと思った。
 
 
 

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NEW YORK STATE OF MIND

雨の日なので。

「雨のニューヨーク」に聴こえていた曲。実際は、“I’m in a New York state of mind”なんですけどね。
 
 
 動画は、上のほうが1978年のBBCライブ(英国)。下は、2006年の東京ドーム。
 

 
 

 
 

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IWATTE

 
「カンヌライオンズ2011」メディア部門で金賞受賞、岩手日報記念号外「IWATTE」の動画。
 

 
 
 IWATTEのウェブサイトは、こちら
 
 
 

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島田紳助・松本人志『哲学』

 
 
 
 息子がケガをして連れていった、整形外科の待ち合い室に置いてあった本。それが、島田紳助さんと松本人志さんによる『哲学』(幻冬舎)。

 
 強く印象に残った部分を、少し長くなるが引用させていただく。テンポの話は、いわゆる音楽のようでもあり、ヒップホップというか、ラップミュージックの話にも思える。
 

 テレビで漫才を見ることはあっても、おもしろいとい思ったことはなかった。
「漫才なんてしょうもない」「つまらん」とずっと思ってた。
 それがある日、高校三年生で大学の入試を控えた朝のこと。何気なく見たテレビで、ある人に出会ったのだ。
 あれはたしか、親父が見ていたNHKの漫才コンクールの番組だ。コンクールで優勝したのがその人のコンビだった。
 僕はその人の漫才に、大げさにいうなら、地球の回転が止まったような衝撃を受けた。
「これはいったい誰や? 漫才師の中にも、こんなおもろい人がおるんや」
 その驚きは、今考えてみると、松本を初めて見たときとよく似ている。
「これは自分と一緒や。自分と同じ感性を持った人がここにいる」
 そしてその人が、なんかよくわからないが小さな賞を貰(もら)っている。
「これが世に認められる時代が来るかもしれへん」「この人と戦ってみたい」と、そう思った僕は即座に大学進学をやめて、漫才師になる決断を下した。
 その人というのは、他でもない。
 島田洋七さんだ。
 洋七さんが、今の上方よしおさんと組んで作ったコンビ『B&B』がちょうど人気の坂を上り始めようとしている頃のことだと思う。
 今はまだ小さい種みたいなものかもしれないが、若い層だけをターゲットにした、感性勝負の漫才がいずれ天下を取る日が来るに違いない。徳川幕府のような『やすきよ』師匠の漫才をうち倒せるかもしれない。
 洋七さんの喋りを聞いて、天啓のように僕はそう確信した。
 そして、僕は漫才師を志したのだ。
 つまり、そもそものスタートから僕は、それまでの漫才師たちが営々と築き上げたきた万人向けの笑いに背を向けていたのだ。
 その天下を取るための最大の武器が、洋七さんの機関銃のような速いテンポの喋りだった。
 今まで漫才というものに見向きもしなかった若い層に訴えるには、その16ビートのテンポがどうしても必要だったのだ。
 少し専門的に説明すると、喋りの『間』の数を減らして減らして、一人が喋る時間をできるだけ長くして、僕たちはあの速いテンポを作り上げていったのだ。そこに至るまでには、かなりの苦労もしたつもりだ。
 それだけに、漫才のテンポというものに対して、僕は人一倍敏感だったのかもしれない。
 ところが、ダウンタウンの漫才には、その速いテンポがなかったのだ。
 僕らのテンポを16ビートだとしたら、それ以前の8ビートよりも遅い、それこそ4ビートくらいに感じた。
 
 


 
 

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HTML5のDOCTYPE宣言

 

 
HTML5のDOCTYPE宣言は、とても簡単。

だけ。

このDOCTYPE宣伝を最初に入れておけば、ブラウザはこのウェブサイトはHTML5で作られているんだな、とわかるのだろう。シンプルで素晴らしい。
(ちなみに、上記の画像はグーグルの「ブラウザやウェブについて知っておきたい20のこと」というサイトのトップページ。真ん中の上の四角形は、トップページのソースを表示し、DOCTYPE宣言が入っているあたりの文字が見られるしたもの)

今まではどうか。

たとえば、人気サイトの¥「ほぼ日刊イトイ新聞」の(ホーム画面の)場合、

となっている。このほぼ日のDOCTYPE宣言はとりたてて長いわけでなく、一般的なものだと思うが、それと比べても

は、ものすごく短いのがわかるだろう。

話が前後するけど、DOCTYPE宣言というのは、ウェブサイトを作成する際、HTMLソースの最初に入れる決まりになっているもの。

ほぼ日のindexのトップhttp://www.1101.com/index.htmlには、DOCTYPE宣言は入っていない。だから、絶対に入れないといけないわけでないのかな。

まあでも、たいてい、ウェブサイトのソースの先頭に、DOCTYPE宣言が入っているはずだ。
 
 
 

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「第54回ベネチア・ビエンナーレ金獅子賞」作家インタビュー

 
 第54回ベネチア・ビエンナーレ金獅子賞を受賞したクリスチャン・マークレーのインタビュー。
 

 
 
 あれっ、YouTube動画の埋め込みコードのソースがシンプルになったような気がする。HTML5に変えた、ってこと? いや、そうでもないか。僕の気のせいだろうか。

関連記事:金獅子賞にドイツ館 ベネチア・ビエンナーレ
 
 
 

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オトコマエスギーニョ、モウリーニョ

 
「オトコマエスギーニョ」という言葉は強引すぎるし、全然イケてない。それはわかっているんだけど、そんなことより、レアル・マドリードの監督、モウリーニョは男前すぎなくない? いや、わかりにくいな。男前すぎだと思いませんか。ライバルのバルセロナを指揮するグアルディオラだって、いい顔をしているけど、男前勝負ならモウリーニョに軍配かな。

「弟がジョージ・クルーニーっていうんだけど…」とか言っても、案外ウソに聞こえないんじゃないかな。ちょっと言い過ぎかもしれないけど、名将でもありながら、名優といっても通用するのではないか。

 ヨーロッパ ・チャンピオンリーグ準決勝第1戦で、レアル・マドリードがバルセロナに敗れたが、61分に自軍の選手がレッドカード退場を受けた際、審判に抗議をし、退席処分になっている。試合後に語った、モウリーニョのコメントがユーモアを含んでいるのことに感心する。

「「私は審判には何も言っていないよ。笑みを浮かべて審判の判定を讃えただけ。これ以上は何も言いたくない。もし自分が今感じていることを彼やUEFA(ヨーロッパ・サッカー連盟)に話したら、自分のキャリアは終わってしまうだろうからね」

 これが、世界のサッカー情報サイト「サッカーキング」からの引用だが、怒りさめやらないうちにウィットに富んだ皮肉が言えるのは、さすが西欧人という感じか。日本でこういった発言をおもしろく出せるとしたら、前・楽天監督の野村克也さんくらいだろうか。

 上記に関連したサッカーキングの記事(1)(2)
 
 

本日発売の『Sports Graphic Number 780 名将に学ぶ。〜チームを変革する新時代リーダー論〜TOP LEADER’S DIGEST』
 
 
 

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本当に、野球は左利きに有利か?

 
 昨日の朝日新聞夕刊「「大リーグが大好き!」を読んで思った。この、向井万起男による連載コラムによれば、大リーグで通算本塁打500本、通算安打3000本を達成した打者は4人いるという。

ハンク・アーロン(右投げ右打ち)
ウィリー・メイズ(右投げ右打ち)
エディ・マレー(右投げ左右両打ち)

そして
ラファエル・パルメイロ(左投げ左打ち)

 このうち、最初の3人は「野球の殿堂」入りを果たしているが、パルメイロはストロイド使用の疑惑がかけられているため、「野球の殿堂」入りのための記者投票で分が悪いようだ。

 ケン・グリフィー・ジュニアには大いに可能性があると向井さんは期待していたそうだが、故障が多く、キャリアの後半は苦しんだ。ケン・グリフィー・ジュニアといえば、たしか、イチローが憧れていた存在。

 パルメイロの殿堂入り、僕には反対する理由も投票権もないが(もちろん、本当にステロイドを使用していたのなら話は別だ)、それよりも、なぜ左投げ左打ちの選手がここまで「500・3000」を達成していないのか、それがわからない。野球は、左打者のほうが一塁ベースに近く、左投手よりも右投手のほうが多いはずなので、ふつうに考えれば、左打者のほうが達成しやすいようにも思える。

 左投げ左打ちの打者が「500・3000」を達成していない理由は、
・左打者のほうが少ない。
・一般的には右利きのほうが多いはず。そのため、子どもの頃から、左利きの模範になる打者が、自分のまわりに少なかった。
・左打者は一塁に近いため、内野安打が出やすい。そのため、最後まで振り切らずにスタートしてしまう、いわゆる走り打ちのようなバッティングをしてしまうことがある。この打ち方だと飛距離が出にくく、単打(ヒット)は増えても、本塁打にはなりにくい。

などだろうか。

 ちなみに、ケン・グリフィー・ジュニアは通算630本塁打、通算2871安打。500本塁打または3000安打のどちらかを達成していれば、「野球の殿堂」入りは確実とされているそうなので、5〜6年後にはメンバーに入るのは間違いないだろう。

 イチロー選手はというと、昨シーズンまでで日米通算3522安打、通算208本塁打。日米での記録を合算してくれれば、すでに3000安打は超えているが、ベースボールに関してプライドの高いアメリカでは、日本との合計は認められないはずだ。だとしても、イチロー選手はアメリカに渡ってから、昨年末までで2244安打。いま、MLBのサイトで確認したら、今季はここまで66安打なので、通算2310安打。

 イチロー選手はメジャーリーグで年平均224.4本のヒットを打っているので、これまでのペースで安打を量産したとすれば、3年後のシーズンには達成
できる計算になる。今までどおり、大きなケガをせず、活躍してほしい。
 
 
 

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コミュニーション屋? ハブ屋?

 
PARTY」という新会社を立ち上げた中村洋基さんのブログを読んでいて思った。僕も広告をつくっている人間のはしくれだけど、「広告」と「コミュニケーション」の境目はどんどんなくなっていくのかなぁ。これは目新しい意見じゃないけど、この境目については考えていく必要があると思う。いや、境目なんて実際はないはずだけど、そこに目を向けることが大切なのではないか。

 Web広告か、テレビCMかラジオCMか、新聞・雑誌広告か、それ以外のメディアか、みたいなことじゃなくて、こうなんていうのかな、もっとゆるやかにつながっていけばいいのにな。クロスメディアとか、メディアニュートラルとかいろんな言葉があるけど、要は、人とコミュニーションを取りたがっている企業(団体とか組織といってもいい)のお手伝いができればいいんだと思う。

 ただ、たんに「あなたとコミュニーションしたいんです」「あなたとつながりたいんですけど」なんていっても気持ち悪がられるだけだから、サプライズ要素やエンターテインメン性を持たせて、興味を抱いてもらう。

「広告屋」といういいかたがあるけれど、これからは「コミュニーション屋」といってもいいのかな。これからは人と人の間に入って、それぞれをつなぐ「ハブ」になれる人がヒーロー(ヒロイン)になれる、茂木健一郎さんがどこかで書いていたと思うけど、それなら「ハブ屋」はどうか。

「ハブ屋」だと、あれか、マングースと戦いそうだな。「ハブ屋」対「マングース屋」なんて。

 コミュニケーションのことをつらつら考えながら歩いていたら、小津安二郎さんと目が合った。映画はWebより歴史があるけど、まだ廃れていないんだからたいしたもんだ。

「映画の父」と呼ばれるリュミエール兄弟がパリで映像を有料公開したのが、1895年12月28日。それから115年以上たっても、映画は主な娯楽のひとつとして(映画は芸術だ、アートだという人もいるかもしれない)君臨している。

 Webは100年後、どうなっているのか想像もつかないけど、仮に映画を軸に考えてみると、楽しむ側の人間というのは、案外100年たってもあまり変わらないような気もする。
 


 
 
 

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ゲイの類人猿と仏教思想

 
 今朝といえばいいのかな、夢の中に大学時代の先輩が現れた。滋賀県にある美術館を訪れ、そこのレストランかミュジーアムショップかどっちかわからないが、どちらかの端っこのスペースで、だったように思う。一度もお会いしたことのない先輩なのに、なぜか大学の先輩だと、夢の中で私は気づいていた。谷なんとか、さんだったかな。先輩は、衿無しの茶色のレザージャケットを着ていて、「いいですね、この服」と私が言うと、「これ、制服やねん」という答え。美術館の制服ということだった。

 その後、類人猿のようなゲイに抱きつかれる。類人猿といえばいいのかな、映画『猿の惑星』に出てくるような毛むくじゃらの猿で、ものすごい力で羽交い締めにされ、迫られて困った。もう少しで……絶対絶命というとことで目を覚ます。
 

 夢じゃなくて現実の話。歌人、じゃなかった家人とケンカをすると後味がよろしくない。反省。まだまだ修行が足りない。先日、娘と朝に散歩している途中、コンビニエンスストアで出会った、『日経おとなのOFF』という雑誌。「入門 ニッポンの仏教」というタイトルにひかれ購入したが、仕事の合間にページをめくり、いいことが書いてあるなぁと感心する。
 農耕社会では「昨日と同じ今日を尊ぶ」価値観に大切にしてきたのに対し、「努力して成長せよ、諦めるな」という考え方には近代プロテスタント的な目的合理主義が色濃く出ている、という文章を目にし、そうなんだよな、経済にとって成長は大切かもしれないけど、成長ばかりを追い求めるのは時にしんどいし、圧迫感を生むんだよな、などと妙に納得。資本主義社会からはなかなか逃げられないが、キリスト教的な考え方と仏教的な思想のバランスが大切なのかもしれない。
 

 
 

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