えっ、リピーターって、そういう意味なの?

 
 早朝、営業マンのためのテキストのようなものの原稿を書いていて、「リピーター」という言葉をあらためて確認してみようと調べてみたら、ウィキペディアに次のような記述があって驚いた。

 リピーター (repeater) とは、一度訪れた施設や店舗、公演などに何度も足を運ぶ人である。
英語では日本語のように広い意味の言葉ではなく、犯罪の再犯者などの意味にかぎり使われる。
 
 
 

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きのうまでの自分を超えろ。

 
 facebookで、Iさんが紹介していたので思い出した、ホンダの60秒テレビCM。くじけそうになったとき、元気をなくしそうになったときは、カンフル剤になりそうだ。
 
 

 
 ナレーションは、上記の動画のページから引用した。
 
 
 頑張っていれば、いつか報われる。
 持ち続ければ、夢は叶う。
 そんなのは幻想だ。

 たいてい、努力は報われない。
 たいてい、正義は勝てやしない。
 たいてい、夢は叶わない。

 そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。

 けれど、それがどうした?
 スタートはそこからだ。

 新しいことをやれば、必ずしくじる。
 腹が立つ。
 だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。

 さぁ、昨日までの自分を超えろ。
 昨日までのHondaを超えろ。
 
 
 

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寄藤文平さんから、春のチャンスへ

 
 あることに携わらないことになった。これを悲しいことととらえることもできるけれど、新しいことを始めるチャンスだと考えることもできる。そう、春は出会いの季節だし。
 
 
 上記のこととは関係ないが、一昨日購入した寄藤文平さんの本の一部を引用してみる。

(略)
 この壁は、デザインでなく経済の問題だと思った。僕はデザインの本を読むのをやめて、経済の本を集中的に読んだ。いろいろな本があったけれど、どの本も、たったひとつのことしか言っていないように思った。
「人の役に立たなければ、金はもらえない」
 タッチがすぐに消費されてしまうのは、人の役に立っていないからだ。僕はそう考えた。本当に必要なものは消費されたりしない。
 タッチや絵の印象といったものを取り除いたとき、絵とはなんなのか。自分の絵は役に立つのか。
 僕にできそうなことは、つまらないと思われていることを面白く伝えること。他には見あたらなかった。
 そしれ、現在に至る。
(『絵と言葉の一研究』寄藤文平さん著、美術出版社、P.50)
 
 
(略)
 ラジオの中の先生は「あるものとあるものが結びついたら、それはまったく別のものなんですよ」と答えた。「燃焼」とかなにかとか、他にもいろいろ答えていたけれど、そこは覚えていない。
「結びついたら、それはまったく別のもの」
 そのひと言だけが、記憶に残った。
 水素と酸素が結合すると、水素とも酸素ともまったく別の性質のものになる。
 これとよく似たことが絵と言葉にもいえるように思う。絵と言葉は同じではない。絵には絵の、言葉には言葉の性質がある。そして、絵と言葉がきちんと結びつくと、絵でも言葉でもない「なんか変なもの」になるのだ。
(『絵と言葉の一研究』寄藤文平さん著、美術出版社、P.56)

特に強く心に残ったのは、だいたいこの2カ所だ。だいたい、と書いたのはどの行までさかのぼりながら引用するのがいいか迷ったからである。
 
 

 
 
 

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バルサのトラップ

 
 息子と同じサッカークラブの子のお母さんが読んでいる、と聞いたので、この本を購入してみた。前から、このほんの存在は知っていたのだけれど、実際に手にとったことはなかった。『おれ、バルサに入る!』(久保健史さん著、文藝春秋)

 これは、FCバルセロナの下部組織「カンテラ」に、日本人として初の入団を果たした、久保健英くん(入団当時9歳)のお父さんによる、夢を追いかけるサッカー・キッズ(我が子)の育て方。
 
 まだ、読み始めたばかりだが、目にとまった部分を引用してみる。まずは、トラップについて。
 
 
 
 バルサキャンプで行われるボールを止める練習は、日本のスタイルと少し違います。実は、次の二つの技術が大変重要で、私はバルササッカーへの第一歩だと考えています。
・ボールを遠い足で止める練習(左から来たら右足で止める)
・コントロールオリエンタード、ボールを足元に止めるのではなく、自ら動きたい方向に出す練習

(中略)

 この2つの動きを、スペイン現地の人はトラップの基本ととらえています。
 日本でトラップと言えばボールを足元に止めることですが、実戦では止める方向や止めた後の動きまで計算に入れるのは当然です。
 
 
 

 
 
 

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短所を長所として見ること

 
 早起きして仕事をしながら、NHKのラジオ深夜便を聴いていたら、お便りにいい言葉があった。

  短所を短所として見るのでなく、短所を長所として見たらどうだろう。
 
 
 
 できの悪い子ほどかわいい、という言葉を思い出した。
 
 
 

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保護者コーチとサッカー審判

 
 子どもが所属しているサッカークラブの保護者コーチに、という話をいただき、心構えや注意点などをお聞きした。
 いくつかあるなかで、もっとも印象深かったのは、「自分の子どもと距離を置いてください」という話。これはわかっていてもなかなかできないのだけど、あらためてもっともな話だと思った。
 つまり、保護者コーチをやるということは、誰か特定の子どもの親ではなく(実際は親だけど)、すべての子のコーチでなければならない。
 こう書いていたら、何かで見た話を思い出す。それは、監督やコーチになった場合、自分の子どもと他の子の実力が同じくらいであれば、他の子を起用する。そのくらいでないと、他の親御さんからは「えこひいきしている」ように見えるかもしれないということ。
 これって、自分の子ども以上に、自分の勉強だと思う。自分の子どもがそこにいても、全員を平等に見るなど、僕自身の訓練が必要になってくる。客観的に見る、というのは実際に行うのは、簡単なようで簡単でない。(僕の)心のトレーニングといっていい。
 
 審判については、本日の練習試合での副審。これは、僕にしてはわるくなかったと思う。試合に気持ちが入り込みすぎることもなく、かといって、冷めすぎることもなかった。
 サッカーの副審をやらせていただいた経験といっても胸を張るほどの回数をやっていないのですが、集中してゲームを見ているつもりでも、どっちがボールをピッチの外に出したのか一瞬わからなくなることがこれまであったものの、きょうはそれがほとんどなかった。これは、ゲームの流れを読みながらだったり、自分がプレーしているような気持ちで試合を見ることができたのだと思う。
 また、間違っていいというわけではないが、自信を持ってフラッグを挙げたり、操作すること(意志を表すといったほうが適切かもしれない)が大事なのだろう。
 
 審判に限らず、試合の流れを読みながら、予想しながら見る(これは自分がプレーする場合も同様)のが、もっとも重要なことなのかもしれない。
 
 
 

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「会田誠展は児童ポルノにあたるのか」について思うこと

 
「『全裸の少女の絵』を展示した会田誠展は『児童ポルノ』にあたるのか?」という記事を読んだ。

 それで思ったのは、児童ポルノかどうか、ということよりも、会田さんも市民団体から抗議を受けるくらい大物になったのか、ということ。会田さんは、現代美術の世界ではとっくに名の知れた存在だったと思うが、市民団体から抗議を受けたことがここまで大きく報じられることはなかったのではないか。

 僕は今回の記事を見つけたのは、ヤフーのトピックスで取り上げられていたから。会田さんの展覧会は、昨年11月から森美術館で開催中だが、都心のメジャーな美術館で個展が開かれていることで、市民団体も、会田さんの存在および、会田さんの作品をほおっておけなくなったのだろうか。

 市民団体の抗議を受けたことで、現代美術家は市民権を得る。というわけではないだろうが、このような抗議によって、さらに観客動員に拍車がかかったり、作品の価格が上がるということもあるのではないだろうか。

 市民団体の抗議が、結果的に会田さんの名をさらに世に知らしめることになっているのかもしれない。こう書きながら、赤瀬川原平さんの千円札裁判や、大島渚さん監督作の映画「愛のコリーダ」事件裁判を思い出す。いずれも芸術と犯罪の境界線が問われた裁判といっていいのではないか。

 
 今回の件について、会田さんはこのような文面を発表している。森美術館の公式ウェブサイトのニュース欄に
「会田誠展についてーー館長、アーティストからのメッセージ(2013.02.06)」にこうある。
 
 芸術を考えるうえで重要な文章だと思えるので、全文を引用させていただく。
 
・・・・・
 
みなさまへ
                                 会田 誠
 
 僕の作品群の中には、性的なテーマとは限りませんが、人によってショッキングと受け取られる表現があると思います。そういう場合、僕は必ず、芸術における屈折表現――僕はそれをアイロニーと呼んでいますが――として使用しています(あるいは、僕個人はこの言葉をあまり使いませんが、『批評的に使用しています』と言い直してもいいのかもしれません)。けして単線的に、性的嗜好の満足、あるいは悪意の発露などを目的とすることはありません。また「万人に愛されること」「人を不快な気分にさせないこと」という制限を芸術に課してはいけないとも考えています。発表する場所や方法は法律に則ります。
 
・・・・・ 
 
 最後のほうの「「万人に愛されること」「人を不快な気分にさせないこと」という制限を芸術に課してはいけないとも考えています。」という部分について、ものを生み出したり、表現する人はどう思うだろうか。自分自身へも含め、問いたいような気になる。
 
 
 

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ティファニーで給食を

 
 迷画座へようこそ。ただいま座席、空いてます。って、こういう映画なら、いつでも空いてそうか。
 
 

 
 
 

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楽しさと強さは両立するか(サッカー&野球)

 
 少年サッカーも、少年野球もむずかしいなぁ。チームを強くすることと、子どもたちが楽しくプレイすることが一致するとは限らない。

 つまり、
・強くなって、うまくなって勝ちたい、という子どもがいる。これはこれで、当然。わかりやすい。
・その一方で、勝っても負けてもいいから、楽しくやりたい、という子どももいる。

 プロじゃないんだから、どっちが正しいともいえない、とも思える。
 
 
 楽しくて強い。さらに、観客(応援している人)から観ても面白い、ワクワクする。
 
 そんなふうだったらなぁ、と思うけど、それってプロでも難しいか。
 
 
 

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-1度ごとに1%割り引くホテル

 
 うまく、リンクが貼れているかな。

 長野県上田市菅平高原の「あずまや高原ホテル」では、気温が氷点下を割ったら、1度下がるごとに宿泊料を1%ずつ割引するサービスを始めたという。ユニークな試みだと思う。

 ヤフーのトピックスに取り上げられ、多くの人がこの記事を目に留めるだけでも、広告費に換算したらかなりのものだろう。
 
 
 

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