腓腹筋(ひふくきん)部分断裂

 
 大晦日の朝、息子とサッカーボールを蹴っていた。数十メートル先の息子に向けて、右足のインステップ(右足の甲から少し爪先にかけてのあたり)で強めにボールを蹴った瞬間、右ふくらはぎのあたりでブチッという音がしたというか、思いっきり投げた小石が右ふくらはぎに当たったような気がした。

 以来、左右均等に足を運ぶことができず、早歩きや小走りができない状態にあるのだが、年末年始だったこともあり、できるだけおとなしくして様子を見ていた。

 数日たってもほんの少し良くなった程度なので、昨日、病院で診察を受けたところ、「腓腹筋(ひふくきん)部分断裂」と診断された。平たくいえば、「肉離れ」のことのようだ。これまでにも捻挫(ねんざ)したり、足がつったことは何度もあるが、「腓腹筋部分断裂」は初めて。現在、右ふくらはぎに湿布を貼っていて、1週間後くらいに経過をみせに来てほしいといわれている。

 みなさん、気温の低いこの季節、運動の前はいつも以上に入念に、ウォーミングアップをしましょう。
 
 
 

環境を整えると優れた若手は育ちにくなるのか

 
 ヤフーの記事(元川節子さんの原稿といったほうがいいか)を読んでいて考えた。人工芝のピッチなど選手を育成するための環境が整備できてきたと思ったら、若手が伸び悩んできているとは、サッカーもむずかしい。いや、その予測不能なところこそ、サッカーらしいといえるのかもしれにない。デコボコの荒れたピッチでも戦えるようになるには、ブラジルのようにストリートサッカーとともに育つ必要があるのだろうか。
 
 この話、サッカー以外にも当てはまる気がする。
 
 
 

みうらじゅんさんいわく「ほんとうにサッカーが好きなら」

 
 日本がGL敗退してしまっのは本当に残念。すっきりしない気分のまま、夜中に「ドイツ×アメリカ」「ポルトガル×ガーナ」の2戦をかちゃかちゃチャンネル変えながらテレビ観戦していたら、(日本の試合でなくても)それはそれで面白く、なぜか、みうらじゅんさんの言葉を思い出した。 
 
 
ほんとうにサッカーが好きなら、「日本、日本」と言わずに「サッカー」と言えばいいんです。国ではなく、「サッカー、サッカー」と、サッカーを応援してくださいよ。(みうらじゅん名言集 – NAVERまとめ)
 
 
 
 

「自分たちのサッカー」とは?

 
 サッカーのワールドカップ ブラジル大会2014で、日本代表が2敗1分けで散った。散ったというのは、GL(グループリーグ)敗退ということ。日本は決勝トーナメントに駒を進めることができず、これは3大会ぶりのことだという。
 新聞やネットでの報道を見ていて「自分たちのサッカーができなかった」「自分たちのスタイルのサッカーができなかった」「日本らしい戦いができなかった」といったコメントをしている選手がいて、そのことに違和感を抱いている。

 日本にとっての自分たちのサッカーとは、パスをつなぐサッカーで、前線(FW)からDFまでをコンパクトに保って試合をするようなことではないかと思うが、それはFCバルセロナのようなスタイルのことではないかと感じるし、まったく同じではないにしても、比較的似たスタイルであろう。

 私が言いたいのは、それがバルセロナのようなものであっても、イタリアのサッカースタイルであってもかまわないのだが、それは「自分たちのサッカー」「日本らしいサッカー」と呼ぶほどのものではあるのか、ということ。というキツい表現に見えるかもしれないが、(どの国とも違うというほど)オリジナリティあふれる独自のスタイルではないと思うし、仮にそれが日本だけのスタイルだとしても、そのことにこだわり過ぎるのはいけないのではないか。
 
「スタイル」を「個性」と置き換えてみるとどうか。「個性」とは、自分はこうだと自分で決めるのではなく、他人が「あの人はこうだ」「あのチームはこうだ」というように判断すればいいのではないだろうか。
「日本らしいサッカーはできなかった」というような発言に対し、私が言いたいのは複雑なことではない。「日本らしいサッカー」「自分たちのサッカー」がどうのこうの、というよりも、まずは勝敗でしょ、と。どれだけキレイなパスを回しても、最後にシュートを決められなけらば意味がないし、まずは勝ってこその「スタイル」のはず。スタイルを守ることを優先してしまったら本末転倒だろう。

 日本のサッカーはこういうスタイルだ、とはっきりさせるのも大切かもしれないが、パスサッカーが通じなかったり、できない相手に対しては、臨機応変に戦う、「万能型」のチームをめざしてほしい。
「自分たちのサッカー」にこだわり過ぎるのは、「自分らしさ」にこだわり過ぎる、自分大好きナルシスト人間のようで、それってちょっとどうか、と思う。
 「自分たちのサッカー」「日本らしいサッカー」といった言葉に酔ってはいけないというか、ことばにすることで、「俺たちはこうなんだ(こうでなければ俺たちじゃない)」と縛られてしまう、そんな恐さもかかえているのではないだろうか。
 
 
 

 

鳥かごサッカーバスケ(2 vs 1 bird cage – football and basketball)

 
 先週の月曜から、息子と息子との友達と始めた朝練。平日のみ行い、きょうで10日目。野球の素振りを200本振った後、数日前から「鳥かご」をアレンジ遊びをしている。

「鳥かご」というのは、サッカーの練習法のひとつで、数人で行うもの。人数は決まっていないが、たとえば5人でやるなら、1人(鬼)が中に入り、残りの4人が外に立ち、パスを回し、中の人がそのボールをカットしたら、そのパスを出した人と交替する。横浜・F・マリノスの練習を見に行ったときは、7〜8人くらいのグループで鳥かごを行い、2人が中に入っていた(2人が鬼)。

 アニメ「黒子のバスケ」や、ミニバス(ミニバスケットボール)をしている友達の影響で、このところ、息子がバスケにハマっているため、最初はバスケットボールで(手を使った)鳥かごを行っていたのだが、手でパスをし合うとなかなかカットできないので(パスカットがむずかしすぎて)、サッカーボールとバスケットボールを同時に用いた鳥かごをやってみたら、これが意外に楽しく、素振りの後、息子も息子の友人もやりたいとリクエストするので、ここ数日は「鳥かごサッカーバスケ」を行っている。

 遊び方を絵にしてみたのでご覧ください(絵をクリックすると拡大されます)。僕らと同じように遊ぶ人がいたら、なおうれしいです。
 

 
 
 

真ん中に蹴って捕られたらしゃあない

 
 昨夜のW杯最終予選(まだイラク戦があるけれど)、後半45分にオーストラリアの選手のハンドで得たPK。キッカーは本田圭佑選手。
NHK-BS1でテレビ観戦していた僕の目には、ゴール左隅に思いっきり蹴ったように見えた。しかし、その直後、別の角度からの映像が流れ、驚いた。あの場面でど真ん中に蹴るとは、どれだけ強心臓なのか。

 小学生のサッカーならともかく、ある程度以上のレベルのサッカーでは、GK(ゴールキーパー)はPKの際、右か左かどちらかを読んで、キッカーがボールを蹴る瞬間にシュートを防ぐため、GKがどちらかに飛ぶことが多い。

 本田選手は過去にもど真ん中に蹴ることがあるので、もしかしたらど真ん中に蹴ってくるかも、という気持ちもGKの中にはあったかもしれないが、そんなデータうんぬんも、本田選手のこの言葉を知るとバカらしくなってくる。

「(PKでの得点)緊張していて、真ん中に蹴って捕られたらしゃあない、という気持ちで蹴りました」

あ、本田選手でも緊張するんですね。(記事参照
 
 
 

バルサのトラップ

 
 息子と同じサッカークラブの子のお母さんが読んでいる、と聞いたので、この本を購入してみた。前から、このほんの存在は知っていたのだけれど、実際に手にとったことはなかった。『おれ、バルサに入る!』(久保健史さん著、文藝春秋)

 これは、FCバルセロナの下部組織「カンテラ」に、日本人として初の入団を果たした、久保健英くん(入団当時9歳)のお父さんによる、夢を追いかけるサッカー・キッズ(我が子)の育て方。
 
 まだ、読み始めたばかりだが、目にとまった部分を引用してみる。まずは、トラップについて。
 
 
 
 バルサキャンプで行われるボールを止める練習は、日本のスタイルと少し違います。実は、次の二つの技術が大変重要で、私はバルササッカーへの第一歩だと考えています。
・ボールを遠い足で止める練習(左から来たら右足で止める)
・コントロールオリエンタード、ボールを足元に止めるのではなく、自ら動きたい方向に出す練習

(中略)

 この2つの動きを、スペイン現地の人はトラップの基本ととらえています。
 日本でトラップと言えばボールを足元に止めることですが、実戦では止める方向や止めた後の動きまで計算に入れるのは当然です。
 
 
 

 
 
 

保護者コーチとサッカー審判

 
 子どもが所属しているサッカークラブの保護者コーチに、という話をいただき、心構えや注意点などをお聞きした。
 いくつかあるなかで、もっとも印象深かったのは、「自分の子どもと距離を置いてください」という話。これはわかっていてもなかなかできないのだけど、あらためてもっともな話だと思った。
 つまり、保護者コーチをやるということは、誰か特定の子どもの親ではなく(実際は親だけど)、すべての子のコーチでなければならない。
 こう書いていたら、何かで見た話を思い出す。それは、監督やコーチになった場合、自分の子どもと他の子の実力が同じくらいであれば、他の子を起用する。そのくらいでないと、他の親御さんからは「えこひいきしている」ように見えるかもしれないということ。
 これって、自分の子ども以上に、自分の勉強だと思う。自分の子どもがそこにいても、全員を平等に見るなど、僕自身の訓練が必要になってくる。客観的に見る、というのは実際に行うのは、簡単なようで簡単でない。(僕の)心のトレーニングといっていい。
 
 審判については、本日の練習試合での副審。これは、僕にしてはわるくなかったと思う。試合に気持ちが入り込みすぎることもなく、かといって、冷めすぎることもなかった。
 サッカーの副審をやらせていただいた経験といっても胸を張るほどの回数をやっていないのですが、集中してゲームを見ているつもりでも、どっちがボールをピッチの外に出したのか一瞬わからなくなることがこれまであったものの、きょうはそれがほとんどなかった。これは、ゲームの流れを読みながらだったり、自分がプレーしているような気持ちで試合を見ることができたのだと思う。
 また、間違っていいというわけではないが、自信を持ってフラッグを挙げたり、操作すること(意志を表すといったほうが適切かもしれない)が大事なのだろう。
 
 審判に限らず、試合の流れを読みながら、予想しながら見る(これは自分がプレーする場合も同様)のが、もっとも重要なことなのかもしれない。