同性のダイエット(減量)にイラッとし、富田靖子さん出演のラジオドラマに心和む

あるブログを読んでイラッとした。それはある男性がダイエットに取り組んでいて、けっこうな成果が出た、という内容なのだが、なぜ私はイラッとしたのか。

自分なりに分析してみると、簡単にいうと、自分よりも成果が出ているから、だと思う。実は少し前から私も体重を減らそうと、ダイエットに取り組んでいて、禁酒をしたり(まだ、それほど時間がたっていないが)、ほぼ毎日、30分からそれ以上走ったり、夜はごはん(白飯)食べない、ということを続けている。

私は私で少しずつだが成果は出ているのだが、そのブログの男性ほどには減量の成果が出ていない。それでたぶんイラッとしてしまったのだろう、私は。そのことをもうちょっと考えてみると、その男性は私と年齢が近く、しかも同性だから、というのも理由だと考える。男性と男性で同性というのは当たり前だけど、そのブログの人がもしも女性だったら、私はおそらくイラッとしなかったのではないかという気がする。

いや、違うか。そのブログを読む前から、というか読む直前から私はちょっとイラッとしていたのかもしれない。かもしれないが、そのブログを書いた人が異性だったとしたら、そこまでイラッとしていなかったのは間違いないと思う。あれかなぁ、同性による成功譚(サクセス・ストーリー)を素直に喜べないほどの精神状態ということなのかな。この、すっきりしない感じ、コロナウィルスによる影響もあるのかもしれない。

と書いたが、イラッとしたのは昨夜の話。イライラしたまま寝るところだったが、それが救われたのは、あるラジオドラマのおかげ。NHKの「らじるらじる」というアプリで聞き逃しサービスが楽しめるのだが、それを使って就寝前にiPhoneで味わったFMシアター『良い子、母になる』という作品だ。

就職活動をしながらパパ活をしていた女子大生が妊娠をしてしまう。心配性の母親や新聞社勤めの父親をはじめ、何人もの人々と関わりながら女子大生が成長していく話といえばいいのか。こう書くと陳腐な感じがするかもしれないが、なんだか元気づけられた感じがして昨夜だけでなく、今朝も聞いてしまった。

本日5月18日(月)正午までで、この作品の聞き逃しサービスは終わったみたいなので、もう今は聴けないのだが、ラジオドラマは映像がないぶん、想像力をかきたてられるところがあってとてもいい(映画やテレビドラマにも好きな作品はあるが)。過剰なほど娘思いでヒステリックな母親を演じていたのが、富田靖子さんだったことを番組終わりの出演者紹介のナレーションで知ってちょっと驚いた(別のラジオドラマにも富田靖子さんが出ていた気がするのだけれど)。

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「咳をしても一人」がコロナの世のように

咳をしても一人 宮沢章夫さんのワークショップの課題で取り上げた、尾崎放哉の句集にひさしぶりに目を通す。尾崎放哉は明治から大正にかけて活躍。絶対にそんなはずないのに、この句が、コロナウイルスの影響下を詠んだもののようにも思えてくる。

「咳をしても一人」という句が載っているのは、『尾崎放哉 句集(二)』。私の手元にあるのは、春陽堂の俳句文庫のもの。同文庫には他に『尾崎放哉 句集(一)』『尾崎放哉 随筆・書簡』もある。

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今と未来のタイムマシン

facebookを開いたら、8年前の投稿が出てきたので、こんなことを思いついて投稿した。

8年前、こういう絵を描いていたんだな。と思い出しながら、たとえば、今ここに何かを描いてアップしておいたりしたら、また、何年後かに「あの頃はこうだったのか」と思い返せるんだろうなぁ。今から未来へのタイムマシン、みたいな。

ちなみに、8年前の投稿というのはこれだ。テキストを載せつつ、8年前のfacebookの画面(の一部)も掲載しておく。

iPhoneで、モーニング指スケッチ。バラでもないし、ボタンでもなさそうだし、この黄色い花は何だろう。草花に詳しい人になりたいなぁ。

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求む!ロゴ入りマスク無料配布

マスクは現在も、ほとんど手に入らない。近くのドラッグストアでもホームセンターでも、ほぼ売っていない。どこかの企業などが、ロゴ入りマスクをつくって、無料配布してくれないだろうか。仮に駅前で配ったりしたら、今なら、ほぼ全員がもらうだろうなぁ。

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The Japan Times見本紙を待つ

正確には「「The Japan Times Alpha&The Japan Times On Sunday」というみたいだけど、妻が英字新聞の見本紙の試読を申し込んだところ、Tha Japan Timesからメールが届き、その文中に「もしお客様が、ご自身のウェブサイトかブログをお持ちでしたら、「http://club.japantimes.co.jp」へのリンクを置くことを、ぜひご検討ください。」とあったので、リンクを張らせていただくことにした。

本当は「The Japan Times」のバナーがあればよかったのに、と思ったけど、そういうのはTha Japan Timesが望んでいないみたいなので断念した。見本紙はまだ届いていないのだが、楽しみだなぁ。

もう一度、リンクを張っておく。→ club.japantimes

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志村けんさんのこと

志村けんさん、一度だけ取材でお会いしたことがあるのですが、動物が大好きで、あんなに大スターなのに偉そうにすることもなく、腰が低くて、ずっとニコニコされていて、とても感じのいい方でした。もっともっとたくさん笑わせてほしかったし、ほんとにほんとに、めちゃくちゃ残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

(追記というか、もう少し書かせていただきます)

志村けんさん、数々のギャグも思い出されますが、雑誌「スイッチ」だったでしょうか、その誌面でたしか、こんなことを話されていました。自分がメインのコント番組があって、仮に10本コントをやるとしたら、全部のコントが面白いのは実は良くない。なぜなら、どれも面白いと、視聴者にはどれも記憶に残らない。そうではなく、それほど面白くないコントがいくつかあったほうが、面白いコントがより面白く感じられるし、結果的に視聴者には「あの番組、面白かったなぁ」という印象が残る。うろ覚えで細かな言い回しは違っているでしょうが、全体としてそんな内容だったと思います。それを読んで私は「深いなぁ。たしかに、そうかもしれん。なんというか、10曲入りのLPレコード(アルバム)みたいやな」と、そんなふうに感じた記憶があります。ほんとにほんとに、ご冥福をお祈りいたします。

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SonicPiの情報はネット上に多くないのか

Sonic Piという音楽制作の(無料の)ソフトウェアみたいなもので、シンプルな楽曲制作のようなことを仕事の合間にちょこちょこやっている。これはRubyというプログラミング言語でコードを書いて音を鳴らすのだけど、「ほんとは、こうしたいんだけどなぁ」という部分がなかなか解決できない。

ググって調べたりもしているんだけど、このSonic Pi絡みの情報がめちゃくちゃ見つかるわけでもないからかなぁ。とも思うものの、ググッてもなかなか分からないからこそ、「考えがい・試しがい・確かめがい」があるのかも、という気もする。どうなんだろう。

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学生漫画家、東京でカンヅメに

 タナカカツキ著の『マンガ サ道 マンガで読むサウナ道(3)』を読んで、このブログを1回書いたが、書き忘れたことがあって、また筆を取ることにした。あ、「筆を取る」と書いたが、実際は筆でも万年筆でもボールペンでもシャープペンシルでもなく、アップルのノートブックで書いているのだが。

 で、今回取りあげたいのは、この単行本に入っている13編のうちの、この本での4編目。「session 27 あの頃、サウナがあったなら」という回(巻?)だ。

 この中で、タナカカツキ自身をモデルにしているのであろう、学生漫画家が東京のホテルでカンヅメになる場面がある。 

 カンヅメについては、作中にこのような下りがある。「カンヅメとは作家が手中して作業できるように出版社が用意した旅館やホテルの一室に作家を軟禁すること」

 そして、タナカカツキは作中でこう続ける。「カンヅメになれば人気作家の仲間入りだと当時の私は思っていた」

 で、カンヅメになったが漫画家が、そのカンヅメの効果によってうまくいくのかどうか。そこは、実際にこの作品を手に取って読んでいただきたいところだが、私が読んでいて、あれこれを思いを馳せたのは、純粋に同作を読んだ感想とは別にある。

 というのは、タナカカツキと私は大学時代(京都精華大学)の同期生で、学生時代に漫画を書いていることも知っていたし、タナカが暮らしていた下宿(今はそう呼ばないのかなぁ)も、私の下宿から歩いて10分ほどの距離だった。

 で、なんとなくは、タナカカツキが漫画を描いていることは知っていたし、タナカの漫画も当時から何作か読んでいたが、東京でカンヅメになっていることまでは知らなかったし、そうか、こんなふうにやっていたのか、となんだか懐かしい気持ちになったのである。

 学生時代、我々が暮らしていた京都市左京区から東京へ、おそらく夏休みだったのではないかと思うけど、たしかにそうだろう、学生漫画家にとっては憧れといいうか、ちょっとばかり興奮できるイベントのようなものだったろう。

 この『マンガ サ道 マンガで読むサウナ道(3)』はタイトルからわかるようにサウナを絡めたもので、サウナの魅力があふれるほどに描かれているが、それとは別に、漫画家のカンヅメというものが描けれていて興味深いものだった。1冊を通して、「漫画家のカンヅメ」について深堀りしているというわけではないが、気になる人はぜひとも手に取ってみてほしい。

 

タナカカツキ
『マンガ サ道 マンガで読むサウナ道-(3)』(モーニングKC)

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『サ道』で、ととのいたい

 タナカカツキによる漫画『サ道』を読んだ。「サ道」と書いて「サドウ」と読む。この漫画、私は以前にも読んだことがあるのだが、最近、あらためて読んだ。あらためて、と書いたが、以前に読んだものを再読したわけではない。最近、私が読んだのは以前のものの続編ということになるのだろうか(厳密な意味で、続編といえるのかどうか、現時点では私には私にはわからない)。

 7月の半ばすぎからテレビ東京の深夜枠で、この『サ道』を原作した連ドラが放送されているのだが、それについてはここではあまりふれないことにする。この連ドラも魅力的で、先週金曜日までの3回分、私はすでに観ていてハマりつつあるのだが、連ドラのことを書くと焦点がボケてしまいそうなので、連ドラについてはここまでにしておく。

 漫画『サ道』はタナカカツキらしいといえばいいのか、達者でありながらも少しゆるいタッチで描かれていて、それはタナカカツキ・テイストといってもいいかもしれないが、そのゆるさ(わかりにくいかもしれないが、少年マンガのような力強い画風とは一線を画する)がこの作品においてはモチーフであるサウナと、見事に合致しているように思う。

 サウナの楽しみ方を紹介し、「サウナを極める道=サ道(サドウ)」とでもいうように、同作では毎回サウナが出てくるのだが、その中で主人公の男(タナカカツキの分身のような人物といえるかもしれない)が、「サウナで温まる」「水風呂で体を冷やす」を繰り返すことで(ちょっと簡略化して書いているが)、最終的に快楽の頂点の状態「ととのう」という境地に達する。

 この「ととのう」というのは、サウナ用語なのか知らないが、なんとなく聞いたことがあるような気がする。昇天するというのか、究極の癒しを味わうというのは、無の境地に達するのか、どれに近いのかあるいはそれらをミックスしたものに近いのかわからないが、読んでいくうちに、この「ととのう」を体験してみたいという気になるのだ(少なくとも私の場合は)。

 恥ずかしながら(恥ずかしくはないかもしれないが)、実は私はスポーツクラブや公営プール、銭湯のサウナは体験したことがあるのだが、いわゆる、純粋な(純粋といっていいのかどうがだが)サウナへはまだ足を運んだことない。『サ道』の登場人物のように、ととのいたい。というのが、私の目下の目標だ。

 マンガを読んで、書かれていたことをやりたくなる、ということはしばしばあるが、それが野球やサッカー、バスケをはじめとするスポーツや、バンド演奏などの音楽や芸術などもいいが、『サ道』の場合はサウナというのがいい。生産性を高めるための自己啓発マンガではない、というところもいい。

 オッサンもオバサンも、そして若者も年配の人も、このマンガを読んだ人のうち何割かはきっと、サウナに行きたくなると思う。そして、サウナ経験者はサウナをより極めたいと思うのではないだろうか。

 

 


タナカカツキ
『マンガ サ道 マンガで読むサウナ道-(2)』(モーニングKC)

『マンガ サ道 マンガで読むサウナ道-(1)』(モーニングKC)

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村上春樹とヤクルト・スワローズ詩集について

雑誌『文學界』の「ヤクルト・スワローズ詩集」を読んだ。

これは、村上春樹さんがデビューからまだ間もない頃に
自費出版した「ヤクルト・スワローズ詩集」に掲載した詩を
紹介するとともに、その詩集に収められなかった、
「ヤクルト・スワローズ詩集」刊行後に書かれた詩も掲載。

詩を載せるだけではなく、村上さんによるヤクルト・スワローズや
神宮球場への思い、さらに村上さんが少年時代を過ごした神戸での
阪神タイガースや甲子園球場への想い出などが語られている。

私はそれらを読み、村上さんの文章の魅力をあらためて噛みしめるとともに、
この人の腰の低さ(世界的な作家になっても偉ぶらず、それでいて、
へりくだり過ぎるわけでもない)に感心した。

また、ユーモアとサービス精神にあふれた文章にふれ、
あらためてそれらの大切さを認識した。

つまり、なんというか、村上さん本人が文章を書いていることを楽しんでいる
のが伝わってくるのはもちろんのこと(書かれている中身すべてが
楽しげな内容というわけではない)、それを読む(『文學界』を手に取って読む)
人への「ユーモアとサービス精神」に富んでいる、ということ。

あれほどの作家である村上さんでさえ、
両手からあふれるほどの「ユーモアとサービス精神」と作品に込めているのだ。
私のような者が、「ユーモアとサービス精神」を持たないで、
誰に何が伝わるというのか。

そう、私に教えてくれた気がする。
村上さんとヤクルト・スワローズにありがとう、阪神ファンのはしくれより。

文學界 2019年8月号

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