やることがない、という残念

 
 歳上のある方がこんなことを言っていた。「定年してからやることがなくて、毎日暇で」

 そんなに暇があるのか、とちょっと羨ましくも感じつつ、いやいや、やることがないっていうのはどうなんだろう、それって贅沢というより残念だなと思った。

 私はこれまで大したことをやってきたわけではないけれど、「何もやることがなくて暇」と感じたことはこれまで一度もないんじゃないだろうか。

 なんて思う私が、ただたんに貧乏性なのだろうか。

 私の場合でいえば、読みたかった本を読みたい、古本屋めぐりをしたい、美術館で絵を見たい、映画も見たい、プログラミングの勉強をしたい、絵を描きたい、運動をしたい、散歩したい、外国へ行きたい、知らない場所に行ってみたい、コーヒーを飲みながら楽しくおしゃべりしたい、ひとりで飲みに行くのもいいかも、など時間があったらやりたいことがいっぱいあるもの。
 
 やることがなくて毎日暇、というのはわるいことではないだろうが、と書きつつ、そういえば数年前、同じような発言を別の人からも聞いたなぁ、と思った。

 その人は最近、足腰が弱ったためか、車椅子に乗られているようで、ここしばらくお目にかかっていない。

 やることがなくて毎日暇。これって、一生懸命に長く働いた男性の定年後に多いのだろうか。趣味がほとんどない、会社を離れてみたら自宅の近くに友人がほとんどいないなど、サラリーマン男性にありがちかもしれないけど、そういうのってちょっと残念。

 女性は「やることがなくて毎日暇」なんて言わない気がするなぁ。気がするだけなのだろうか。
 
 
 

だいじょうぶ

松浦弥太郎さん主宰の「くらしのきほん」の中の、「わたしのきほん」スペースに、自分の文章が掲載されていた。

職業、自分さが士。

 
 
 
 職業、自分さが士。「他人の自分探しを手伝う専門家」というつもりでかいて(描いて)みたけれど、「徹底的に自分探しをする人」のようにも受けとれるかも。
 
#‎絵と言葉のノート‬
‪#‎sketches‬
#‎sketch‬
 
 
 

余計なことを言わないことが重要である

 
ある詩集を読んでいたら、レイモンド・カーヴァーのことが書かれていて、おやっ、と思うと同時に、なかなか面白い内容だと感じたので引用させていただくことにする。引用部分は、250ページ以上ある文庫本のうち、12ページ分にあたる。
 

 
日当たり
 
土曜日の夜
ワインで少し眠くなった頭で
レイモンド・カーヴァーの
『ファイアズ(炎)』を
黙々と読んで
あれこれと考えている

『ファイアズ(炎)』は
カーヴァー全集の
第四巻目で
エッセイ

短編小説が収録されていて
ぼくは

エッセイの部分を
読み進めているところ

カーヴァーは
四十歳になるまで
人生の
日当たりの悪い場所にいて
地上に出てから
十年ほどで
地上を離れ
あの世へと
旅立って行った

この世のどこにも
彼はもう
いないが
作品だけは
存在し続け
その作品の中で
彼もまた生き続けている

ファイアズ
すなわち
炎とは
火山の噴火でもなく
山火事でもなく
戦火でもなく
ライターの炎でもなく
煙草の火でもない
煙草の火にも
詩的想像力を
喚起する力があるが

ぼくの
薄っぺらい胸の中にも
同じ
炎が
燃え続け
心を
焦がし続けている

そして
その炎は
人の
心から心へと
燃え移り
強風によっても
吹き消されることはない

七十三ページから
七十四ページにかけて
次のような言葉を見つける
「市井の言葉で
ものを書くことの重要性」
「日常の会話で使っている言葉、
生活の中で口にしている言葉を使って
ものを書くことの重要性」
それから
「『文学的』用語や
『詩もどき』言語を使わないこと」
言いたいことを正確に言い
それ以外の

余計なことを言わないことが
重要であると
カーヴァーは書いている

心の中で
炎が
燃えていることに気づいたら
その炎を消してはいけない
特に日当りの悪い場所にいる時には

 
『ファイアズ(炎)』は村上春樹訳

 
 
『自分にふさわしい場所』
著者:谷郁雄
写真:ホンマタカシ
発行:理論社
 

 
 
 

孤独を楽しむひととき

 
すやすや家族が眠るなか
こそこそ布団をはいだして
かたかた叩くキーボード
しんしん世界はサイレント

ぐうぐう家族は夢のなか
ぷしゅぷしゅヤカンで湯をわかし
じゅるじゅるコーヒー手で淹れて
しゃきしゃき脳が目を覚ます

世界はわたし一人きり
孤独を楽しむ朝のひととき

とつぜん静寂ぶちこわす
陽気なラジオのナビゲーター
 

 
 
 

二月のコーヒー

 
 
午前三時半に起きるつもりが
午前四時半になってしまった

もらったコーヒー豆が酸っぱいので
苦いコーヒー豆をまぜながら
これぞ自家製ブレンドコーヒーだと
にんまりする

まだ外は暗い
靴下を二枚重ねする
二月の早朝
 

 
 
 
 
上記の詩のようなものは、
谷川俊太郎さんの『詩めくり』という本に再会して
感激し、つくってみたものです。

 

学歴社会はなくならない?

 
学歴社会はもう過去のもの
そんな話を耳にしたり
記事を目にしたりということが
何度もあったように思う

でも実際は
学歴社会はなかなか
なくならない

それに学歴は関係ない
と口する人はたいてい
いわゆる高学歴の人だと思う

学歴社会が続いているし
学歴社会がなくならないことを
高学歴の人は実感していながら
ポーズで口にしているのか

なぜこんなことを書いてしまったのか
学歴のことをいつも考えているわけでもないのに

こんなこと書くから
学歴社会はなくならないのかな