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「困(こま)フォト」第5回


近頃、「写真」が気になっている。
でも、「写真」がよくわからない。
それで少し困っている、みたいな。

撮影をしたり、文章を書きながら、
わからない「写真」を考えてみる。

写真で困っている。だからタイトル
を「困フォト」としてみたのです。



「考えない写真」について考える


子供の手の写真


息子に「撮って」と言われ、水天宮駅のエスカレーターで撮影した。
自分でも、失敗写真に見える。しかし、この半端な一枚が自分で妙に
気になる。実は、この写真を見ていて、ふと思い出したものがある。
それは、雑誌『考える人』で行われていた、劇作家・作家の宮沢章夫
さんによる連載。誌面の中でたしか「考えない写真」、つまり、まっ
たく何も考えずに写真を撮る、というテーマに宮沢さんは挑んでいた
ように記憶している。いかに適当に、いかにいい加減に撮ろうとして
も、そこに「これを撮ろう」「この瞬間に撮ろう」という、その人の
意志が入り込んでしまう。だから、まったく何も考えずに撮った写真
を仕上げるのは容易ではない。できそうでできない写真の性(さが)
のようなものを、連載の中で宮沢さんは書いていたと思う。シャッタ
ーを切る(押す)こと自体が、人の意志のもとに行われる限り、完全
な無意識の中で写真を撮るのは難しいだろう。「美しく撮る」「狙っ
たものを写す」「見せたいものをきちんと撮影する」といったような
こととは、まったく次元が違う(どっちが上ということではない)。
考えてみれば、「考えない写真」はまるで現代美術のようでもある。
コンセプチャルアートというか、コンセプトそのものだ。 「一般的
な写真」と「考えない写真」はどっちが上で、どっちが下ということ
ではないはず。ボツ写真のような一枚を見ながら、いろいろ考えた。
繰り返すが、上の一枚は息子のリクエストに応えて、私が撮影した写
真。もともと、私の意志で撮ったものではないが、息子にお願いさ
れて撮る決意をしたのは私であり、カメラのシャッターを押した瞬
間に自分の意志がほんのわずか、写真に紛れ込んでしまったかもし
れない。正真正銘の「考えない写真」を撮る方法はあるのだろうか。

東京都中央区・水天宮駅
(11-05-17)

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published : May 2, 2009
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